長崎港を朝7時40分発の高速艇で五島列島最大の町、福江に向かいました。
福江は福江島にあり、五島市の中心であります。
隠れ切支丹の教会や、五島藩の福江城跡にある観光歴史資料館などに連れて行っていただきました。歴史観光資料館は良質な資料が整然と展示され、この地の民度の高さを感じます。
充実した観光歴史資料館(ビデオでの紹介もありました)のお陰で、五島の概要をつかむことができました。五島藩の家系は平家の流れだそうで、壇ノ浦で敗れた平家の公達がここまで逃れて来たのだそうです。
五島のキリシタンの多くは、大村藩(いまで言えば、大村市や長崎市)の領民が移動して来たのだということも、よく理解できました。
本日は福江島(下五島)のほぼ全域を案内していただいたのですが、とりわけ印象的だったのは、福江島の西端、柏崎という所にあった石碑です。
「辞本涯」と彫られています。
これは空海の言葉だそうです。
遣唐使の船は、浪速の津を出て、瀬戸内、九州に入ると”島伝い”に福江島までたどり着きます。
ここから先は中国大陸まで、海しかありません。
ここで風の具合を見て、あとは長駆、中国を目指すのですが、当時の船と航海技術では、一か八かの命がけ。実際、途中で難破して命を落とした人たちは少なくありません。
空海の「辞本涯」の文字には、日本の地はここまでで、いよいよ日本の地を去り、唐に向うという覚悟が浮き彫りにされています。
快晴に恵まれ、果てしない海は真っ青。遣唐使として、旅立った先人たちのことを思いめぐらすと、胸が一杯になりました。