吉良邸は広かった

人形町でお客さんとランチをしたあと、腹ごなしに浜町公園から隅田川の土手に出ました。スカイツリーを遠目に見て、数百メートルほど上流に向けて歩くと両国橋です。

この両国橋を渡りますと墨田区になります。この界隈は昔の町名でいうと「本所松坂町」。

赤穂浪士が討ち入った吉良上野介の屋敷があったところです。

東京スカイツリーの影響かどうかわかりませんが、かつて来た時(かなり昔ですが)と比べると標識が非常に整備されており、迷うことなく、目的地に到着しました。

吉良邸の跡地は30坪弱の「松坂町公園」(下記の写真)として残っていますが、当時の吉良邸はこの公園の86倍、およそ2500坪の広さだったらしい。

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今年になって、この公園の隣りに「歴史茶屋 縁処(えんどころ)」ができたそうです。

そこの方から、お茶をご馳走になり、吉良邸の絵図面を見せていただきながら、いろいろと話を聞きました。

大石内蔵助率いる23名が討ち入った表門は東側にあり、その付近が勝海舟の生誕地や芥川龍之介の出身小学校とのこと。

高輪泉岳寺への凱旋は、近くの両国橋ではなく、下流の永代橋を渡り、永代橋沿いにある味噌屋(乳熊味噌=ちくまみそ、いまもあるそうです)で甘酒が振る舞われた話。

新しい発見があって、非常に楽しい時間でした。

実を言うと一番確認したかったのが、旗本・土屋主税(つちや ちから)の屋敷の位置でした。

このことを最初に質問をしました。

絵図面にも記載されていましたが、吉良邸の北側は確かに、土屋家と本多家(いずれも旗本)の屋敷でした。(2つの屋敷を合わせても吉良邸の広さには届かない)

討ち入りを察知した隣家の土屋主税が提灯を何本も高々と掲げて、夜間照明係を務めることが物理的には可能であることが、確認できました(笑い)。

この話の真偽は定かではありませんが、忠臣蔵であえて土屋主税に花を持たせたことは、土屋家のルーツに対する好意的な世論があったのではないかと勝手に解釈しています。

詳しくは9月18日のこのブログ(最多コメント王のARCadia氏から”面白い”と一言コメントを頂戴しました)をご参照ください。

午後のアポイントまでの、わずか1時間程度の散歩でしたが、とても有意義。

つい忘れがちですが、東京にも多くの物語があります。

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コメント

  1. ARCadia より:

    ウムム、名を呼ばれちゃあ出ないわけには…

    「あずさの車窓」の話は覚えておりましたが、何をコメントしたかなんてスッカリ飛んでますので、あらためて覗いてみたら、何じゃい、たった一言じゃないの。覚えがないわけです。

    歌舞伎の忠臣蔵なんてTVくらいでしか見たことありませんが、ライトアップのシーンなんかもただ見過ごしておりました。バックグラウンドがいろいろあってそれを知るとなお面白くなるんでしょうね。「出張の達人」の心得ですか・・・ちょっと違うか・・・

    先日の「中村仲蔵」のお話では、触発されて?こりゃ復習せねばと早速youtubeを探して圓生で聴きましたよ。小1時間の長講をみっちり。

    そばで聞いていたいた老母が「舞台が浮かぶ」なんて言いながら、師の話に合わせて解説を始めました。ウルセエとも言えないのでありがたく聞いてましたが、やけに詳しいのはどこで見知ったんだろう。。。

  2. 克己 より:

    赤穂事件オタクとしては見逃せないネタです。

    先週、人形町辺りを徘徊していたのですが、そんなに近くだったとは知りませんでした(残念)。

    土屋主税、クールですよねぇ!

    泉岳寺墓参、しばらくご無沙汰してますので、討ち入り記念日までには・・・!

  3. 芸のない旅芸人 より:

    ARCadia様

    お母上の時代の方々は歌舞伎のことを良く御存じです。我々の時代の人達とは舞台を見ている回数が違うのだよ。耳の穴をかっぽじって、きちんとご講話をうかがうこと。

  4. 芸のない旅芸人 より:

    克己さんが赤穂事件オタク?とは、長いおつき合いにもかかわらず、全然知りませんでした。大変失礼しました。

    吉良邸、オススメです。

    赤穂事件ネタは他にもありますので、年末にかけて、披露させていただきます。乞うご期待です。