ランチタイムに新橋から有楽町の事務所に戻るときに、日比谷通りをブラブラ歩いていました。
帝国ホテルの南隣り、かつての大和生命保険(やまとせいめい)の本社ビルの前を通りかかった時に思い出しました。
「そういえば、ここは鹿鳴館の跡地だったな!」
鹿鳴館といえば、大山捨松(旧姓山川)。会津藩の重臣の娘で米国留学し、帰国後に薩摩の大山巌の後妻に入った人です。 来年のNHK大河ドラマにも登場することになるでしょうね。
鹿鳴館は、もともと薩摩藩の装束屋敷の場所に作られました。
建築家は明治政府お雇い外国人のConder(コンドル)。彼はロンドン生まれの英国人です。施工は大倉組、いまの大成建設さんです。
25年以上も前に大成建設さんの財務部に仕事でおじゃますることがあったのですが、受付でもらう入館証(当時はしおりのような紙でしたが)の裏に、「鹿鳴館や大蔵省の建物は大成建設が作りました」といった趣旨のことが書いてあったように記憶しています。
鹿鳴館の跡地は日本徴兵保険に売却され、その日本徴兵保険はその後、大和生命保険(やまとせいめいほけん)となりました。
90年代の金融危機で大和生命保険は外資系生保となり、さらにリーマンショックを経て、現在はプルデンシャル・ジブラルタ・ファイナンシャル保険となっています。
いまは大和生命保険ビルという名前もなくなり、「NBF日比谷ビル」。
その名の通り、日本ビルファンド投資法人という日本最大の不動産投資信託(Jリート)の投資物件となっています。
政治経済環境や金融危機などの動きの中で、持ち主にこれほど変遷のある場所は、東京のど真ん中において、他には見当たりません。