45年前の今日

 今日は松江にいます。

 このところ、松江や玉造温泉の旅館の稼働率が上がっています。 首都圏等の若い女性に大人気のパワースポットめぐりが大いに寄与しているようです。

 とくに昨今は、仕事の後に、午後10時東京発の夜行寝台列車「サンライズ出雲」に乗り、翌朝に出雲入りするのが流行りだそうで、金曜日の下り列車の寝台券はプラチナチケット化しています。

 私もかつてはこの列車をよく利用しましたが、いまは寝台券を取るのに四苦八苦します。

 サンライズ出雲は、有名ハウスメーカーが内装を担当しており、かつてのブルートレインなどと比べると、おしゃれなセンスがあり、若い女性たちに受けるのも分かるような気がします。

   さて、45年前の今日、すなわち、昭和43年3月25日のことは鮮明に覚えています。

   高校1年生の終業式の日でしたが、当時のクラスメート3人が、それぞれ目的地を決めて、その日の夜行寝台列車で「ひとり旅」に出ることにしました。

 このブログでいつもコメントをくれる「ARCadiaさん」は、新宿駅から中央線の夜行急行列車「上高地」号の寝台車で松本方面へ。 当時、上高地号は松本経由で、長野駅まで運転していました。 

   同じくこのブログに、しばしば懐かしい写真を送ってくれる「平塚のハカセ」は、東京駅から夜行急行列車の「伊勢・那智」号(鳥羽と紀伊勝浦が行先)の寝台車で松阪に向かいました。 いまは、松阪は名古屋から1時間ですから、東京からは完全な日帰り圏なのですが、当時は夜行列車が走っていたのです。

   そして、私は東京駅を20時過ぎに出発する(つまり、名古屋までは、平塚のハカセの伊勢・那智号の前を走る)、寝台夜行急行「出雲」号で、島根県に向かったのです。

   三段式の寝台車の上段(寝台券は上段800円、中段900円、下段1000円でした)に陣取り、東海道本線を西に向かいました。 

 初めての夜行列車での「ひとり旅」だったので、気分が高揚し、レールの継ぎ目の音を聞きながら、旅情を楽しんでおりました。ほとんど眠らなかったですね

 京都から山陰本線に入り、朝の5時半ごろに、真っ暗な綾部駅に降り立ち、西舞鶴行の列車に乗り換えました。西舞鶴から宮津を回り、天橋立へ。 リフトで展望台まで上り、「股のぞき」。

 天橋立からは列車で山陰本線の豊岡に出て、そこから祖父母の住む、島根県の安来まで列車の旅を堪能したのでした。

 それ以来、夜行寝台列車には数えきれないぐらい乗りました。 海外勤務時代には、英国内や欧州各国を、何度も寝台列車で移動しました。

 いまや、国内では新幹線と高速道路網の整備により、夜行列車は肩身の狭いおもいをしています。 夜行列車の数も少なくなってしまいました。

 このような中で、若い女性たちが、「サンライズ出雲」に興味を見せてくれているのは、とても嬉しいことなのです。


シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

コメント

  1. ARCadia より:

    アーラー 日付まで…

    コッチは不鮮明に覚えてますよ。

    「上高地」では上段だったので、料金は800円だったのですか。車両はナロハネですぞ、ナ・ロ・ハ・ネ!

    オロハネになる前の、ナロハネです!

    ・・・ウムム何が嬉しいんでしょうね・・・

  2. ARCadia より:

    訂正!

    乗ったハネは冷房化されていなかったので、思わずナロハネとしてしまいましたが、調べたら、ロネが冷房化されたときに「オ」になっていたのでした。よって乗ったときはすでにオロハネだったのでした。

    マ、どうでもいいか…

    よく覚えてないのですが、あの頃は寝台巾が52cmの時代でしたかね。

  3. 芸のない より:

    ARCadiaさん

    そうです、オロハネ10です。

    幅は52センチです。

    狭かったねええ。

    確か、松本からは各駅停車になって、長野まで行っていました。