4月1日は北陸本線(米原⇔直江津)の全区間が開通して、ちょうど100年になります。
北陸本線の主要駅にはパンフレット「北陸本線100年の歩み」が置かれており、4月1日には記念グッズ、記念弁当、復刻版時刻表などが発売されます。
かつて、北陸本線には2つの難所がありました。
一つは近江の木ノ本から、越前・敦賀までで、現在の区間よりも東側(柳ヶ瀬ルート)を山越えしていました。いまは、秀吉と柴田勝家との合戦の場となった賎ヶ岳や余呉湖の風光明媚なところを通り、敦賀側には登り勾配を緩和するためのループ線がある路線となっています。
もう一つは敦賀から今庄までの区間でした。急勾配を克服するために3箇所のスイッチバックがあり、補助機関車が後押しして、登っていました。こちらの方は昭和37年の北陸トンネルの開通による新線で敦賀と今庄の間の高低差をクリアしたのです。
北陸トンネルの開通の日のことは、いまでもよく覚えています。それまでの日本で一番長いトンネルであった上越線の清水トンネルが、首位の座を明け渡した時でした。
北陸トンネルは、開通間もない時期に、トンネル内の火災事故があり、大騒ぎでしたが、関西と北陸の移動時間を大幅短縮した功労者であることは間違いありません。
記憶にはまったくないのですが、私は生後70日のときに北陸本線全区間を走破しました。
大阪から新潟まで、当時の急行「日本海」で移動したようです。60年以上前ですから、賎ヶ岳の麓も、北陸トンネルも通っておらず、2つの難所を越えて行ったものと思います。
覚えてはいませんが、北陸本線は私にとっても思い出深い路線なのです。