「たたら」見学に向けての準備

 今月下旬に、島根の「たたら」見学に行くことになっています。 楽しみです

 「たたら」というのは日本で生まれた製鉄の伝統的な技法です。 島根県では、山間部で取れる良質の砂鉄と、深遠なる森が生み出す木炭により、古墳時代後期より鉄の生産がおこなわれていたと伝えられています。

 奈良時代に編纂された「出雲風土記」には、島根県東部の出雲地区の山間部が鉄の生産拠点であったことをうかがわせる記載があります。

 江戸時代になると、「たたら」という仕組みにより、製鉄が大規模化され、量産体制ができあがるのです。

 明治時代になり、海外から安い鉄が輸入されるまでは、この「たたら」が日本における製鉄所の役割を担い、最盛期には出雲の鉄が国内生産量の半分以上を占めたといわれています。

 見学に備えて、目下勉強中なのですが、やはり役に立つのは、司馬遼太郎さんの「街道をゆく」第7巻「砂鉄のみち」。

 昭和40年代の話ですが、鉄から見た日本と朝鮮半島との比較論が非常に面白いです。

 そもそも日本に鉄を伝えたのは朝鮮半島から渡来した人々(中国沿海部からの渡来者もいるでしょうが)だと思われますが、朝鮮半島では製鉄業は定着せず、日本で発展しました。

 その理由は、砂鉄を含有する花崗岩や石英粗面岩の有無というよりはむしろ、砂鉄から鉄塊を作り上げるための木炭の補給力の差だったわけです。

 つまり、鉄が作られるためにもっとも重要な条件は木炭の補給力で、さらに木炭のもとになる樹木の復元力なのです。

 まさに梅雨期から夏にかけての高温多湿なモンスーン気候こそが、日本の製鉄業の支えていたということなのですね。

 このような話を「砂鉄のみち」からインプットする中で、数年前に釜山から成田に向かって飛び立った機内から見た情景を思い出しました。 このときは盟友・北白川さん(拙著の共著者です)と一緒でした。

 釜山の市街地ならびにその周辺には緑はなく、無味乾燥でしたが、右手前方に展開する対馬は深い森林に覆われていたのです。 両者のコントラストは印象的でした。

 日本の強みが「雨と森」ということは、日本における良質の水という視点から、常に意識していたのですが、製鉄という観点からも、立証されることを改めて感じました。


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コメント

  1. 克己 より:

    ふむふむ・・・大変勉強になりました!

  2. 芸のない旅芸人 より:

    克己さま

    いよいよ5月10日に出雲大社の遷宮です。

    次回、出雲に起こしの際には、出雲風土記やタタラに関するスポットを是非とも御案内させていただきたく思います。

    それまで、勉強しておきますので、乞うご期待。

  3. 克己 より:

    楽しみにしております!

    遷宮当日の好天をお祈り申し上げます・・・ん?、八百万の神が集合されるはずですから、当然日本晴れですよね!