しなののくに

 信州・高遠の話、「その3」です。

 長野県人が集まると必ず歌うのが「信濃の国」という歌らしい。 

 海外の長野県人会の集まりでも最後の「しめ」はこの歌で、という話を聞いたこともあります。

 昔の話ですが、信州人に関する本を読んでいたら、甲子園の高校野球で長野県代表の某高校の応援団がこの歌を歌い出したところ、あれよあれよという間に逆転勝ちしたという話が載っていました。 校歌でも、民謡でもなく、何の歌か?、実況放送をしていたアナウンサーも分からなかったとか。

 明治時代に信濃教育会の肝煎りで作られたのが、この「信濃の国」。

 いまは県歌となっているようですが、他の都道府県では県関係者の集まりで、県歌を合唱するという話は聞いたことがありませんね。

 歌詞には長野県の地理や歴史の主要ポイントが網羅されています。

 この歌の5番に、信州にゆかりのある人が4名、登場します。

 木曾義仲、佐久間象山(松代藩士)、太宰春台(飯田出身の儒学者で荻生徂徠の弟子)、そして仁科五郎盛信です。

 仁科盛信は、仁科という長野県北部の名籍を名乗っていますが、武田信玄の5男、勝頼の弟ですが、武田時代の最後の高遠城主となります。

 織田信長の武田攻めの際の侵入路の要である高遠に立て籠るべく、北信濃から転進してきます。

 武田家滅亡の時には、裏切りの連続で、戦いらしい戦いは高遠城の合戦のみでした。 新田次郎さんの小説「続武田信玄」(歴史読本に連載)の最後の部分に「高遠城 血染めの桜」という章があったように記憶しています。

 「信濃の国」に登場する4人の人物のうち春台を除く3人は劇的な最期を遂げるのですが、信州人の心に残る人たちなのでしょうね。

 「「信濃の国」の歌には信州人として、木曾義仲と仁科盛信が入っているが、生まれはそれぞれ、武蔵嵐山と甲府だから正確には信州人ではないですよね?」

 かつて、長野県で講演会を行ったときに、「信濃の国」の歌を「つかみ」にしたのですが、見事に失敗しました

 策におぼれました。 生真面目な長野県人にはまったく受けず、非常に気まずい思いをしました。

 余計なお世話ですよね。 赤面の限りです。


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