宮脇ワールドを追いかけて(その2)

宮脇ワールドの続編です。

お盆休みに、6月に電子図書版になった宮脇俊三さんの「ヨーロッパ鉄道紀行」を読み切りました。

1980年代から19990年代のヨーロッパの鉄道路線が生き生きと展開し、ほぼ同時期に現地で出張にかこつけて、欧州内の鉄道を乗りまくった私としては懐かしさ一杯です。

とくに、タルゴ(TALGO)。

スペイン国鉄の特急列車のことです。

カーブの多い路線対応で車両の長さを短くし、天井や床を低くし、客車のつなぎ目に1軸だけの車輪を設置した連接式。

まさに芋虫のような列車です。

ちなみにTALGOの頭文字は、それぞれスペイン語で、T「列車」、A「関節」、L「軽量」で、あとの2つは考案者の名前だそうです。

宮脇さんはマドリッド(チャマルティン駅)からバロセロナ(サンツ駅)までと、バロセロナ(フランサ駅)から南仏のモンペリエまでの2区間でタルゴに乗車しています。

とくに後者は、線路の幅が異なる2つの国(スペイン1668㎜、フランス1435㎜)の国境を越える国際列車なので、国境の町ポール・ボーでは軌間の変更のために車軸を伸び縮みさせ、車輪の幅を変えるという作業が行われます。

実を言うと、1984年8月に私もタルゴに乗車しています。

上司のMさんとともにマドリッドの顧客 (スペイン国鉄の財務部でした) を訪問、帰路はパリまで列車に乗ることにしました。

始発駅は宮脇さんと同じマドリッドのチャマルティン駅。私たちはパリのオストルリッツ駅までの夜行寝台特急のタルゴでした。

マドリッドとパリをつなぐ本線では、タルゴはバスク地方のイルンという国境の駅で車両の幅を変換する作業を行います。

不覚にも寝台車で爆睡していたため、この貴重な瞬間を逃してしまい、翌朝、レストランカーでMさんから様子を聞くという大失態をしでかしました。

宮脇作品のポール・ボーの場面で、「なるほどそうだったのか!」と、30年を経て、やっと納得したのでした。

あの時のマドリッドの抜けるような空の青さと、荒涼としたスペインの車窓を思い出しています。


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コメント

  1. ARCadia より:

    まだ極くごく若い頃、タルゴという車両ができた話を何かで読んで、

    ずいぶん奇抜な発想をするもんだなあと感心したものです。

    今考えると、そのときの車両はTALGO IIIだったようで、

    TALGO自体はもっと昔からあったのでした。

    連接車、独立車輪、可変ゲージなどのそれぞれの意義を理解したのはだいぶ後になってのことでした。

    独立車輪のライトレールを導入したのはどこだっけと思ったら、広島でしたね。

    一昨年訪れたとき、写真には収めたけど、乗り損なったなあ。

  2. 旅芸人 より:

    なるほど、広島市電のヨーロッパ風の連接車は独立車輪なんですね。広島は市電が元気で走っていていいですね。