もう一つの宮脇ワールド

かつて、横浜市の東戸塚に住んでいたころ、週末は横須賀線の電車で15分ほどの北鎌倉までひと乗りし、鎌倉をブラブラしていました。

当時は時差のある国際金融の仕事をしていましたが、それなりにストレスも大きかったので、週末の鎌倉ウォーキングで心身ともにオフ・モードに切り替えるのが救いでした。

散策コースにはいろいろなバリエーションがありましたが、ショート・コースで気に入っていたのが、北鎌倉駅から、建長寺の手前を右折、亀ケ谷坂の切通しを通って、薬王寺、英勝寺、鎌倉駅というルートでした。

ときにはヨコ道にそれて、お気に入りの浄光明寺に立ち寄りました。

淨光明寺は北条家や足利家、ゆかりの寺で、足利尊氏の奥さんの実家である赤橋家(北条一門)の菩提寺でもあります。

ここには十六夜日記の著者である阿仏尼の息子さんのお墓もあります。

晩秋(だったと思いますが)のある夕刻、淨光明寺の境内で宮脇俊三さんに遭遇しました。

帽子をかぶり、ナップザックを背負った姿で、本堂の前でメモをとっておられました。

コンビニで売っているようなコンパクトなメモ帳に一所懸命に書き込んでおられ、この取材メモから作品群が生まれ出るのだと思い感動したことを思い出します。


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コメント

  1. 福井 より:

    倉吉線は国鉄民営化で1987年に廃止(ああ残念!)されましたが若桜線は残っています。若桜線の将来の話をしたいところです。

    宮脇ワールドの阿里山鉄道は1970年に乗りました。戦前の日本が作ったスイッチバックでした。そして朝日を受ける新高山(玉山)の連山が素晴らしかったです。

  2. 旅芸人 より:

    福井さま

    1970年といえば阿里山鉄道は蒸気機関車の頃ですね。