魅力満載だった羽幌線

今回の「週末乗り鉄ブログ」は知る人ぞ知る「羽幌線」です。

30年以上前に廃止になった北海道のローカル線です。

留萌 (留萌本線) と幌延 (宗谷本線) を結ぶ140キロあまりですが、この沿線は今や「オロロンライン」の名称で日本海沿いのドライブコースとして知られています。

私がハカセと1970年7月に初めて羽幌線に行った時には、札幌からの直通の急行列車 (ディーゼルカー) が走っていました。

幌延 ↔︎(羽幌線) ↔︎ 留萌 ↔︎ (留萌本線) ↔︎ 深川 ↔︎ (函館本線) ↔︎ 札幌

急行列車「はぼろ」です。

1968年10月の時刻表によれば、

◎下り

札幌17:01→深川18:46→留萌19:47→ 羽幌20:54→ 築別21:04→ 遠別21:51→ 幌延22:23

◎上り

幌延6:35→ 遠別7:18→ 築別8:11→ 羽幌8:20→ 留萌9:34→ 深川10:27→ 札幌12:03

羽幌地区から札幌への日帰りの時間設定になっていますね。

羽幌はかつての炭鉱の町であり、旧羽幌町の築別駅からは羽幌炭礦鉄道 (全線16キロ) がありました。

今回、調べてみると、この鉄道は1970年12月まで営業しており、同年7月の時点でその気になれば乗れたことを知り、愕然としました。

当時はSLばかり追っかけ、ローカル私鉄には目もくれないという状況で、実にもったいないことをしたと思います。

ところで、焼尻島、天売島へのフェリー・高速船は羽幌から出ています。体調を崩して以来、50歳を過ぎて始めた離島巡りをサスペンドしているのですが、焼尻と天売は未だにリストに残っています。

ARCさんから羽幌港に向かうフェリー (場所は天売島らしい) の写真を送ってもらいました。

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さて、48年前の羽幌線の記憶というとほとんど薄れてしまっているのですが、このたび古丹別駅 (だったと思う) 近くのラーメン屋さんで食べた味噌ラーメンが非常に美味しかったことを思い出しました。

それから40年を経て、HR社のS社長とともに、羽幌線の跡を辿るバスの旅を敢行しました。

天塩駅の跡地のバス停など、羽幌線の風景に接し、興奮しました。

稚内からの帰路、豊富から留萌まで乗車したのですが、利尻富士がだんだん遠ざかっていくのが、非常に印象的だったことも思い出しています。

最後に在りし日の羽幌線。ハカセの写真館です。

幌延~振老_1974年12月16日

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海水浴臨時列車「かっぱ号」鬼鹿駅、1970年7月
北海道の短い夏の海水浴、専用列車があるのには驚きました。

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D61が牽引するl貨物列車。 古丹別~番屋の沢_1970年7月

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留萌駅 1970年7月31日

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コメント

  1. ARC(短縮しました) より:

    船の写真まで採用いただきありがとうございます。

    と言いながらナンですが、写真が羽幌港なのかどうかイマイチ確信がなくて。

    ワタシも離島巡りが好きなのですが、何しろ時間がかかるのでスグ挫けてしまいます。佐渡島さえ行ってない!

    旅芸人殿は甑島までも訪れたとか?  それも仕事のフリして??、、、ずるいワ。

  2. 旅芸人 より:

    旅芸人はたしかに甑島に行きました。

    キビナゴ丼を食べて、某銀行の大事なお取引先である地元の建設会社の方に案内していただきました。街中に住むよりも甑島にいれば、ドクターコトーもおられるし、重篤ならばドクターヘリで鹿児島の病院までひとっ飛びなので、住んでみたらだらどうですかと言われて、「悪くないな」と思いました。

    鹿児島では喜界島が未踏の地で残っています。長崎は対馬と五島はしっかりと回りました。隠岐の島も海士町に行ったし。何と言っても利尻礼文は数多く行っています。

  3. ARC(短縮しました) より:

    そうなんです、ヤハリ羽幌港ではなかったようです。

    考えてみれば当たり前、乗ってきた船の出港を撮ったのでしょうから。

    喜界島、、、以前奄美に行ったときにスグそこにあったのですが。

    俄然行きたくなりましたゾ。

  4. 旅芸人 より:

    喜界島は鹿児島の仕事で戦力外になったら、そのときに行こうとリザーブしておりました。鹿児島港から夜行フェリーで行くと早朝に到着。島一周をウォーキングしようというスケジュールまで作っていました。

    去年、戦力外になったのですが、その時は残念ながら半身麻痺になってできなくなりました。できるときにやっておくものですね。