伊東マンショの肖像画から妻線へ

昨年、青森県立美術館 (青森市) で「遥かなるルネッサンス展」を見ました。

http://www.aomori-museum.jp/
ja/exhibition/102/

マルク・シャガールのバレー「アレク」の背景画 4枚がすべて揃っていることで人気急上昇の美術館なのですが、特別イベントのルネッサンス展では、メジッチ家のお嬢様の肖像画が登場 (フィレンツェがほとんど出たことがなく、本邦初) しました。

この特別展では伊東マンショの肖像画も展示されており、「2014年にフィレンツェで発見されたもの」(驚きです‼️) との学芸員さんの説明をうかがいながら、四百数十年前の【天正遣欧少年使節】を思い描いたのです。

ところで、先日、宮崎県の某企業の役員さんとお目にかかった折に、この伊東マンショの肖像画が話題になりました。

伊東マンショは4人の少年使節メンバーの正使であり、日向 (宮崎県) の戦国大名 伊東氏の一族です。

伊東マンショ生誕の地は、日向国 都於郡 (とのこおり)、いまの西都 (さいと) 市。

都於郡と佐土原 (さどわら、現在は宮崎市北部) の2つの城が、伊東家の二枚看板拠点であり、当時はこの界隈が日向の中心だったようです。

日向の伊東家というのは、鎌倉時代に曽我兄弟の仇討ちで討ち取られた工藤祐経の流れをくみ、宿敵島津家に引けを取らない古い血筋であり、日向飫肥藩主として明治維新を迎えました。

さて、西都市にはかつて鉄道が走っていました。

国鉄 妻線です。

日豊本線の佐土原駅から杉安駅まで全長19.3キロの路線ですが、さらに西進し、熊本県の湯前までつなぐ計画もあったようです。

西都市の中心駅は妻駅でした。

妻線は1984年に廃止となったものの、妻駅の入場券が「妻として入る」ということで、今でいう婚活女子に大人気。当時のトップアイドル歌手が婚約者の俳優にこの入場券を送ったとも言われています。

残念ながらワタシは妻線に乗り損ねました。海外勤務を終え1985年に帰国したときには廃線となっていたので。

ときを経て、20年ほど前に宮崎に出張した際に、佐土原駅に降り立ちました。

伊東家のあと佐土原城は島津家の日州支配の北の中心となり、島津義弘 (維新公) の弟である島津家久、その子 島津豊久が領主となりましたが、その佐土原の街を歩いてみたかったからです。

島津豊久は関ヶ原戦いの最終ステージにおけるメインプレイヤー。正面突破の烏頭坂での撤退戦のシーンを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。

最後にハカセの写真館です。

佐土原駅で憩うC56、1972年2月

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妻線の終点、杉安駅の風景 、1978年8月

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コメント

  1. ARC より:

    歴史と地理の話になるとヘェとしか言いようがありません。

    西都市の妻の辺りにそんな歴史があるとはチイとも知りませんでした。

    そういうところだから比較的早くに妻線なんてのを通したんですかね。

    それにしても湯前まではまだかなりあるなあ、、、山の中だし、、、何に使うつもりだったのやら。

    で、ワタシも妻線は乗り損ないました。

    鉄ちゃんではないのでいちいち記録はとってませんが、終点の杉安なんて駅は全く覚えがないので。どうやら妻線を見落としていたようです。

  2. 旅芸人 より:

    西都から湯前へのバス路線(直通があるかどうかはわからないが)は、乗りたいバス路線の第2位にランク付けしていました。1位はもちろん、大和八木から新宮の十津川を通る路線です。

    宮崎県の山側は平家の落人の里のようなところが結構あります。