別所線

40数年のことです。

長野市内の書店で手にした本、「信州の鎌倉」(題名は定かではありません。新書版で地元新聞社の発刊だったように記憶しています) が、上田交通 別所線との縁のはじめでした。

上田市の南西に広がる塩田平は信州の中でも気候に恵まれており、物成りがよく、鎌倉時代には執権北条一族の直轄領でした。

鎌倉文化の遺跡が点在する中をローカル私鉄 別所線が走っています。

はじめて訪れた1976年には、下之郷の夢殿、前山寺の重要文化財の三重塔、安楽寺の国宝八角三重塔、北向観音 (善光寺と向かい合っていると言われる) などを急ぎ足で回ったことを記憶しています。

別所温泉では温泉につかり、蕎麦を味わうという贅沢な日帰り旅行でした。

二度目に訪れたのは1985年、別所線を有名にした丸窓電車が退役となる前年の夏でした。千曲川の鉄橋を走る丸窓電車の姿をカメラに収めたのですが、管理不行き届きで手元に残っていません。残念です。

丸窓電車以降、別所線はかつて東急東横線などで活躍した車両の第二の職場となっています。

往年の東横線や田園都市線の電車が軽快に走っているのを見るために、夏休みになると別所線詣でをしていました。

そういえば、東急5000系 (通称青ガエル) の1番車両も、東横線から別所線に転属し、いまは渋谷駅ハチ公の前で、喧騒の中、余生を過ごしていますね。

最後にハカセの写真館です。

撮影日時はいずれも1990年8月15日です。

① 別所温泉駅に保存された丸窓電車

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② 同上、窓が丸いです

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③ 下之郷駅での5000系電車の交換風景。現在、ハチ公前に置かれている 5001が青ガエルならぬバッタのような色合いです。

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④ 千曲川鉄橋を走るバッタ

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コメント

  1. ARC より:

    ③の写真、5000系もさることながら、左側にいるのは5200系じゃないですか。名車5000の発展系(でも構造はかなり違う)で、「ステンレスカー」と鳴り物入りでデビューしました。

    デビューしたのはワタシが小学2年の時でした。小学生が電車に乗ることはそうありませんが、ある日、祐天寺駅で下りを待ってたところ、上りに5200が来たのを見て、折り返して来るのを待って乗ったものです。

    それにしても5001と5201が並んで写るってのも珍しいのでは。

    断面が六角形の5200は単発で終わって(ステンレスの練習台だった?)、後継は普通の箱型になりましたが、個人的には特に印象に残る車両です。

  2. 旅芸人 より:

    ステンレス5200系の東横線時代は記憶にありません。

    何しろ雪が谷大塚に住んでいたので、古い箱型の池上線でした。母親にくっついて旗の台経由で自由が丘に買い物に行くと東横線が走っていて、それが池上線とスピード、車両数ともに違うので、愕然としたものです。

    小学校2年生のU少年、祐天寺で見送った5201が急行で折り返してきたらヤバかったですね。

  3. ARC より:

    確かに!

    まあ、当時、そんな想像力はありませんでしたが。

    呆然と見送ったなんてことだったらそれはそれで。。。

    それから数年間東京から離れていて、戻ってからも東横線とは疎遠になったので、ヒョッとすると5200はアノ時だけだったかも。

    あの頃の池上線には驚きました。ボロいしカーブ多いし。当時、大井町線だってかなりボロかったですから。5000系のあるなしの違いですかね。

  4. 旅芸人 より:

    池上線、目蒲線、大井町線、東横線。

    東急のドン臭い順です。

    唯一、池上線の沿線人間がこれは勝てるな、と思ったのは玉電でした。