乗っておきたかった列車 (その10)

およそ1年ぶりの「乗っておきたかった列車」です。

通算で第10 回となります。

ワタシが高校時代、50年ほど前ですが、広島はSLのメッカでした。

メインラインを高速で走るために設計された大型蒸気機関車 C62 と、C62登場以前に特急列車を牽引していた C59 とが広島地区に集結していました。

これらの千両役者たちが最晩年に活躍したのは、山陽本線の三原と海田市(広島駅近郊)とを海側にバイパスする呉線でした。

50年前、朝の通勤時間には呉から広島に向け、C59や C62の牽引する客車列車が15分間隔で走っており、壮観でした。

この頃の呉線の花形列車は、寝台専用列車である急行「安芸」。

東京と広島とを呉線経由で結んでいました。

糸崎と広島の区間 (三原〜海田市は呉線) は SLが牽引します。

急行「安芸」は東京駅でも広島駅でも見たことがあるのですが、残念ながら一度も乗ることがありませんでした。

1968年の春休みに広島から東京に戻るおりにチャンスがあったのですが、さんざん迷った挙句、ブルートレイン寝台特急「富士」の魅力に負けてしまいました。

その後、特急「富士」を何度も利用することとなりましたので、「安芸」に乗車すべきだったと後悔しています。

当時のダイヤを見ると、上りの急行「安芸」は広島発15:00、東京駅には翌朝 6:40 に到着です。

18:30ゴロは岡山ですが、備前路を眺めながら食堂車でハンバーグステーキ (当時 240円)とライス (同 50円)という段取りが正解でしたね。

急行「安芸」の写真です。撮影者はワタシ、ハカセにデジタル加工してもらったものです。

① 広島駅の上り列車、1968年4月5日、

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② 幸崎〜忠海を走る下り列車、1970年3月28日、

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こちらは呉線の通勤列車(広島行)、天応〜小屋浦、1970年3月28日、

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コメント

  1. ARC より:

    数年前、福山の知人宅&翌日呉で港見物、という計画で旅しました。

    こりゃ絶対呉線、とワザワザ三原駅前に宿をとったのですが、翌朝、「チョットした手違い」で呉線に乗り損ない(痛恨)、仕方なく海田市経由に。

    竹原に立寄って、酒蔵をハシゴしようと思ってたのに。。。

    そういえば、

    「天応〜小屋浦」というと、咋夏の豪雨災害の報道で頻繁に名が出てきました。

    さんざん歩き回ったところだ、とハカセが心をいためてました。