アイドル ゴローのファンが殺到?

週末の「乗り鉄紀行」です。

40数年前の話ですが、就職してから2年半ほど職場の独身寮に入っていました。

渋谷駅から徒歩10分あまり、旧山手通りに面し、隣には有名企業の創業者のご自宅があるという一等地でしたが、ほとんど部屋にはおらず、週末は夜行列車で地方に行くか、渋谷の繁華街でブラブラしているかという楽しい暮らしでした。

その時に渋谷の映画館で見たのが、男はつらいよ「寅次郎と殿様」(第19作)。

マドンナは真野響子さんで、舞台は伊予大洲。大洲藩の殿様の末裔の役が、嵐寛寿郎さんでした。

四国は早い時点で国鉄の無煙化が進んでおり、SL列車が走っていないため、ハカセとのSL追跡の旅からも漏れていたのですが、この映画での大洲の情景に背中を押されるように、翌月には大洲まで足を伸ばすことにしたのです。

国宝・重要文化財の天守閣12のうち、丸亀城と宇和島城とが当時未制覇で残っていたので、大洲、今治 (当時は石垣のみ)、松山の城郭巡りも兼ねて、讃岐と伊予を走破しました。

そういえばこの年1977年は、NHK大河ドラマが「花神」で、大村益次郎とオランダおイネ (浅丘ルリ子さんです) とのほのぼのとしたやり取りのある宇和島にもスポットがあたっていました。

今でこそ松山空港まで一っ飛びなのですが、この時は岡山まで新幹線、宇野線、宇高連絡船で高松に入りました。

高松からの予讃本線の旅では、何と言っても松山以西の海岸線の美しさが脳裏に残っています。

現在は内子線経由のショートパスがメインルートですが、この頃、全列車が伊予長浜まで忠実に海岸線を走っていました。青春18切符のCMでも採用された かの有名な下灘駅も、ディーゼルカーの急行列車はゆっくりと通過していきました。ほとんど海の上にホームがある小駅ですね。

伊予長浜から列車は南から東へ方向を変えて、肱川に沿って内陸に入って行くのですが、車窓はそれまでとガラリと変わります。肱川沿いに開けた城下町が伊予大洲ですが、ひとつ手前の「五郎」という通過駅の名前が非常に印象的で今でも覚えています。

五郎駅は当時盲腸線だった内子線への分岐点でした。

かつて野口五郎ファン (イナガキゴローさんではありません) が、入場券を求めて殺到したとの話もありましたが、この駅名の由来は何なんでしょうか。

ハカセの写真館にも五郎駅のものがあります。

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こちらは伊予大洲駅。

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いずれも1978年10月の撮影です。


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コメント

  1. ARC より:

    宇和島のホテルの夜、突然歯痛に襲われ悶々として明かしたことがあります。

    翌朝、予定より早い時刻の列車に乗り伊予大洲で下車、薬局を探してウロウロしてました。

    次の列車まで街をブラついてましたが、予備知識も目的もないので印象は希薄。

    大洲の文字を見かけると、歯痛と薬局の情景ばかりが思い出されます。