早期警戒制度に関する八代論考

八代アソシエイツの八代恭一郎さんの新しいコラムが同社のホームページに掲載されました。

http://www.yatsushiro.co.jp

「新しい早期警戒制度」

4月3日に発表された金融庁の案に対する率直な意見です。

収益性の指標に対する八代さんの指摘には耳を傾ける必要があると思います。

 

 


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コメント

  1. 橋本卓典 より:

    八代論考を拝読いたしました。冴え渡るウィットのきいた論旨、うならせます。

    >コア業務純益((除く投資信託解約益)

    →与信費用の節減に加え、投信解約益で資金利益を捻出するのが流行し、共通価値の創造に取り組む地域金融機関をちゃんと「計測」できなくなったので、新たに持ち出した「もぐら叩き指標」とも言えます。

    >コア業務純益が赤字に陥ることをなんとしでも防ぐための組織的な最後の戦いが、投資信託解約益の計上による嵩上げ同様、営業経費の削減でも行われるのではないか。

    →金融庁(処分権限を持つ強力な評価者)による「計測」は必ずと言っていいほど「最適化行動」を招きます。最適化とはどこまでも金融庁に対してのものであり、地域、地元事業者に対してのものとは必ずしも一致しません。

    >低格付先を排除しても、不祥事が起こらない範囲で投資用不動産の投資家を包摂して、貸

    出をなるべく増やし、地元に関係ない有価証券運用でリスクをとり、インカムゲインを改善していくという、将来にわたる健全性を確保するためのベスト・オブ・ベストプラクティスが見えてくる。

    →「計測」がもたらす「最適化」を分かりやすく、解説いただきました。安易な計測が「すばらしい健全銀行」を誕生させてきました。時代は繰り返しませんが、歴史は繰り返します。

    と、調子に乗りましたが、苦心する金融庁側の立場になって、私見を多少申し上げれば、以下の通りです。

    「地域にとって、我々(投資用不動産など特定の利害関係者を除く)にとって、なくなると困る金融機関なのか、なくなっても困らない金融機関なのか」のための早期警戒制度とみるべきかもしれません。

    以前、このブログに、私は、この3段アプローチの早期警戒制度では、スルガ銀行など「見た目の収益が良いだけの銀行」への早期警戒には使えないのではないか、と疑問を呈しました。

    しかし、そもそも金融庁がそうした金融機関も含め、すべての金融機関を早期警戒でコストを払って守らなければならないのかも考えなくてはならない現実の話です。リソースは限られているのであれば、「なくなっては困る金融機関」に割くのが、行政の妥当性という考え方もできます。限りない品質を金融庁に求めれば、同質量の反作用(副作用?)を「計測できない世界」でもたらします。

    翻って申し上げれば、我々こそが「ボーッと生きてる」のではダメで、なくなっては困る金融機関を主体的に選ばなければならないということです。これこそが、金融行政が目指すダイナミズムだったはずです。忘れてはならないのは、選ぶのは金融庁ではなく、顧客、我々になったということです。

  2. 新田信行 より:

    橋本さんのご意見に共感いたします。金融機関を選ぶのは誰か?自明の理だと思います。私も含め、金融機関の経営者は、これを心に刻まなければなりません。

  3. 森脇ゆき より:

    遅れてのコメント失礼いたします。

    八代論考とともに橋本さんのコメント拝読させていただきました。

    ご解説いただき、腑に落ちました。ありがとうございます。

    あらためて経営の大変さや重要さを知った次第です。

    ゲームで、交代で樽に剣を刺し、ツボを刺してしまうと人形が飛び出でゲームオーバーのものがございます。

    経営者さんは、四方八方から突き刺されるけど、ゲームオーバーにはなりません。飛び出てしまうツボをつくのは「お客様」かもしれません。

    そんな風に思いました。