平成とともにスタートした鉄道

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平成最後の日に「平成筑豊鉄道の話をやったらどうか」とハカセが写真を送ってきてくれました。

最近、クイズで出題される平成駅は熊本県にありますが、平成筑豊鉄道は福岡県、かつての筑豊炭田を走破しています。

昭和の時代、筑豊炭田のエリアには、北海道の夕張地区と同様に、蜘蛛の巣のように石炭運搬のための鉄路が張り巡らされていました。

平成筑豊鉄道は国鉄時代には「伊田線、田川線、糸田線」でしたが、1989年に第三セクター経営となりました。

このブログを書くにあたり、社名の由来を見たところ、いくつかの候補案から社名を選ぶ1月7日に昭和天皇が崩御、新元号が発表されると同時に社名に平成を冠したとのこと。まさに平成の幕開けとともにスタートした鉄道なのです。

さて、

1971年3月、ハカセとともに夜行列車で初めて九州に降り立った際に、小倉駅を起点にして、網の目のように広がった北九州の国鉄路線に足を踏み入れました。

五木寛之さんの「青春の門」筑豊編が発刊された直後であり、物語の舞台となった炭鉱の駅で列車を乗り換え、香春岳を車窓にとらえたことを思い出します。

冒頭のハカセの写真。

田川線時代のSL貨物列車、油須原~勾金、バックは香春岳です (1971年3月11日)。

 


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コメント

  1. ARC より:

    補機付きの長大編成の迫力をシッカリ捕らえ、バックにも意を尽くす、、、ハカセの写真は早い時期から完成度高いわ。

    (とヨイショ)