Hさんへ

「諫言の士」というと、唐の太宗  (唐の第2代皇帝) に仕えた

魏徴の名前が出ます。

中国の歴史に造詣の深いHさんに解説をお願いしたいところです。

 


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コメント

  1. Hさん より:

    魏徴は諫議大夫(帝に諫言する役職)として、唐の太宗李世民に数々の諫言を行い、そのやりとりは帝王学の名著である「貞観政要」によって伝えられています。

    以前にこのブログのコメントでも、『人生意気に感ず。功名誰れか復た論ぜん。』の一文を挙げたことがありましたが、魏徴の詩「述懐」の一節です。過去に魏徴は太宗の敵側に身を置いていましたが、それを許して重用した太宗の心意気に感じ、他人の毀誉褒貶も意に介さず、直諫という方法で忠義を尽くしています。

    中国の皇帝はわざわざ諫議大夫という役職を設ける程、下からの諫言を重要視していましたが、如何せんそこは専制君主、それが逆鱗に触れると諫言者は罷免されたり、最悪の場合誅殺されることもありました。帝に諫言することは文字通り命懸けであり、「諫言の士」には多くの悲劇が伴っています。明日5月5日は暗君に直諫して非業の死を遂げた屈原の命日でもありますね。(こどもの日にチマキを食べる由来)

    尤も、たとえ暗君であっても命を賭してまで諫言をする臣下が辛うじて存在していた王朝は、その後も意外と命脈を保っていたりするものです。本当に亡国にまで至った場合には、諫言すること自体が虚しくなった下の者が口をつぐんだり、隣国に出奔したりしています。

    さて今の世の中、多くの職員から『人生意気に感ず』と尽くしてもらえているような地域金融機関のトップは、果たして何人おられるのでしょうか?

  2. 旅芸人 より:

    Hさん、

    「本当に亡国にまで至った場合には、諫言すること自体が虚しくなった下の者が口をつぐんだり、隣国に出奔したりしています。」

    地域金融機関で最近よく聞く話と同じです。

    亡国への道をまっしぐらですね。

    屈原がちまきの始まりだとは初耳でした。