自分事として捉えられるか (その2)

昨日のブログで、“自分事”として捉えられるかの要因として、

(若いころの)「良いお客様との出会い」をあげました。

もう一つ、

「良い上司との出会い」をあげる地域金融機関の人たちも多いのではないでしょうか。

その良い上司、役員や幹部になっているかというと、残念ながらそうでもないケースの方が多いようです。

かつては、良い上司と言われた人はわりと偉くなったのですが、最近は「何であの人が役員にならないのでしょう」という声が圧倒的です。

話に出てくる「良い上司」の共通項は、顧客本位の行動を貫き、熱い心の持ち主であり、お客さまとの信頼関係があり、お客さまとの共通価値の創造(CSV) ができるところです。

おぞましいことに「ルール症候群、形式主義、モノマネ」の思考停止、顧客本位というのは口だけの人たちが、経営陣の大半を占める組織では、顧客のために創意工夫する人たちは生き残れません。忌々しいことに、金融機関の利益優先で行動した人間や、上だけを見て余計なことを言わないヒラメ人間が、プロモートする仕組みになっている組織が多数派です。

いまや地域金融機関の経営陣の劣化が目立ちます。

経営環境の厳しさや、当局の深度ある対話に耐えられないとの思惑から、逃亡する経営者の話も聞こえてきます、唖然。

早急に経営人材を探さねばなりません。

内部に「良い上司」が残っていればいいのですが、、、

残念ながら、ワタシは内部昇格もあまり期待できないと思っています。いまの地域金融機関のキャリアパスで形成された次世代幹部候補も金太郎飴であることが理由です。

ならば外部人材の招聘となりますが、その場合には、かつて組織に属し、地域金融の本質を追求しながらも組織に残れなかった人たち (「良い上司」たち) の経営陣としての復活が一番現実的だと考えています。

カムバック 良い上司たち‼️

 

 

 

 

 

 


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コメント

  1. 橋本卓典 より:

    銀行でも副業解禁が広がり始めたのは、銀行が「良い出会いがない組織」に陥っていることを物語ります。副業は「目的」ではなく、「手段」です。「良き出会い」を通じて、自分事として捉えて動く人づくり、それによる組織の活性化、最終的には「地域の元気」こそが目的と言えましょう。

    個の覚醒とは、「身(視座や信条)の置き所」によって左右されるのかもしれません。

    「あなたは一体、何者で、何のために存在し、あと20年(10年でも30年でも)で終わる一度きりの仕事人生をどうしたいのか」

    が問われています。組織にいようと、いまいと。

  2. 増田寿幸 より:

     劣化が目立つ金融機関役員組織にどっぷりと身を置く人間として多胡さんのご意見に感想を申し上げます。過去と比して多胡さんや橋本さんが強く感じられる点は、良かれ悪しかれ金融行動の二極化が進んでいるからで、昔のように役員起用基準に多くの関係者が自然に同意できるような環境でなくなりつつあるということではないでしょうか?つまり、世は「革命の前夜(言い過ぎなら夜明け前とでも)」なのではないでしょうか? だから若い世代と旧世代の間に溝ができつつあるのではと思うのです。

     大切なことは、もしそうなら、近い将来に金融機関経営に大波乱が生じるということだと思います。この点において、外部人材はもちろん内部人材にも奮起が求められます。

  3. 新田信行 より:

    外部人材と内部人材の抜擢登用の組合せ。内部人材の次世代がダメなら次次世代を。本来の意味での人材のダイバーシティ、多様性が求められます。それは、組織文化を変えるとの不退転の危機意識から生まれます。

  4. 寺岡雅顕 より:

    【迎合することはあっても、魂は売るな!】

     裁量権を手にしない限り、自分の理想を実現するのが難しいのが組織と思っています。

     生き残るために、迎合することはある程度仕方がないと思っています。しかし、その過程で、魂まで売り渡してしまう御仁がなんと多いことか。

     次世代がだめなら、次の次の世代に期待することになりますが、その為には、裁量権を持った時に自分の判断で動ける人材の育成が重要になります。

     森ペーパーでは2025年が展望されていましたが、我々は2050年に生き残り、存在感のある銀行を目指して人材育成を考えてました。その中心に据えたのが「業推無罪からの脱却」です。

     しかし、今、地域金融機関には2050年などと、のんきに構えている余裕はないようです。