下位寄せ

「地域金融における真の金融包摂とは?」

八代恭一郎さんの新しい論考です。

八代アソシエイツのホームページに掲載されています。

地域金融の世界では「メイン寄せ」ならぬ、「下位金融機関寄せ」が行われているとの衝撃的事実。

トップ地銀 (一部だと思いますが) の“無責任さと矜持のなさ”が明らかにされています。


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コメント

  1. 新田信行 より:

    全く同感です。信用組合は地域のラストリゾートとの覚悟を持っている、理事長仲間がたくさんいらっしゃることを、私は誇りに思っています。上位業態⁉は逃げるのが得意ですが、信用組合が逃げたら、そのあとは誰も受け皿にはなってくれません。地域金融機関のトップの覚悟が問われていることを、受けとめている金融機関だけが、サスティナブルだと考えています。

  2. 橋本卓典 より:

    「金融排除」という本を書いた張本人としては、「わが意を得たり」という八代論考でした。

    誤解されている可能性が濃厚ですが、金融庁の言う「金融排除」と、私の唱える「金融排除」は違います。

    金融庁の「金融排除」は「担保保証のある先にだけ貸して、その他は事業性があっても貸さない状態」を定義しています。さらに個人部門に関しては、資産形成というもう一つの政策の柱がありますので、個人の負債部門を肥大化させる「好意」が果たして、「資産形成につながるのか?」という問題意識がありますので、企業・事業者のみが対象です。

    私の「金融排除」は、八代さんと近いと思うのですが「貸している・貸していない」の問題ではなく「同じ地域の一員なのに金融機関が地域の事業者や人を精神的に無視している状態」を指しています。リスケ延滞先も「貸出残高メイン」かもしれませんが、塩漬け&再建支援放棄の状態であれば、橋本的には「排除」です。どうなっても構わないという方針がありありと感じられるからです。素人故かもしれませんが、貸出残高とか、どーでもいいです。銀行側の勝手なドングリ競争です。

    実際、八代さんご指摘のベンチマークで貸出残高という一軸で計測するから、金融庁計測に対する金融機関の最適行動を惹起させ、「冷やし中華始めました」みたいな「金融包摂始めました」という、地域の体感温度とはズレている珍現象を引き起こすのです。

    ただし、これは森行政時代のトライ&エラーだと思います。遠藤行政ではネットプロモータースコアや地域生産性向上支援チームが、金融機関の先の事業者、支援家、行政など、金融庁がこれまで計測してこなかった世界を探索し始めていることも付記します。金融庁が何も考えていない訳ではありません。金融機関でも分かっているところは分かっています。経営から現場までの一気通貫というのは、確かに少数ですが。

    八代さんが危惧される「包摂の役割は別の金融機関が担えるのか」は、目下、最大の懸念材料と思われます。

    金融庁は、銀行が金融機能付き地域課題解決会社に体質転換するには、「ある程度の資本的、人財的余裕」がないと難しいとみているでしょう。故に、地銀には再編圧力が引き続き強まるでしょう。「例の2000万円問題」も相俟って、未来投資会議への忖度も金融庁の幹部によっては、あるでしょう。問題は、信金信組までもがこの弾丸低気圧に巻き込まれてしまうと、八代さんのおっしゃる選択肢は極めて限られてしまうという事態です。包摂者は皆無で、エコシステムは崩壊し、その地域での事業へのチャレンジ自体が大いなるリスクとなり、地域まるごと底抜けする恐れがあります。これはかなり現実味を帯びています。創業支援・コンサルの方々は、地元金融機関の排除・包摂状況を知らずして、コンサルしたらマズいですよ。

    「あなた、この地域は既に『腐海』ですよ。『地元出身だから地元で貢献できるよう、起業頑張ります』とか、ぬるいこと言ってないで、金融機関が豊穣な他の地域で起業されるべきですよ」と、アドバイスすべき日が来るかもしれません。

    さて、事業者は「なけなしの根担保」を「逃避&排除疑惑銀行」になぜ差し入れるのでしょうか。銀行は猫も杓子も「規律付け」と言います。ここだけは八代さんの「愛情論」と意見が異なりますが、私は事業者の根底に「逃れられない支配への恐怖と諦め」があるのだろうと思います。いろいろな方の話を聞くに、計測できない支配への恐怖と諦観が事業者の方々にはあると感じています。

  3. 八代恭一郎 より:

    橋本さま、旅芸人ブログANNEX(笑)の拙稿にいつも貴重なご意見ありがとうございます。

    誤解をまねかないように少しだけ補足説明させていただきます。

    「ある程度の資本的、人財的余裕」を持たないが、“正真正銘の金融包摂”に真摯に取り組む地域金融機関を無条件で保護すべきという主張は、ゴリゴリの市場原理主義者の私の頭にはありません。また、下位寄せの結果、所有資本比また所有人材比過大な地元不良債権を抱えているという形式をもって、保護すべきとも考えておりません。実質化の必要十分条件としては過大な地元不良債権を抱え、世間から無能と嘲笑されながらも、早期警戒制度に抵触しない程度の健全性を維持する不断の努力を、正統な方法(例えば地域の借り手への愛情を維持しながら)で行っていることと想定しています。

     先日、万人が秀逸と認める著名な地域金融機関経営者から、本懸念解決について大きな示唆をいただきました。「生まれてからこの方、褒められたことのない従業員を活性化させるためには、ちょっとしたことを褒めて表彰するべき。表彰機会がなければ、営業実績以外にいくらでも作ればよい。」とのこと。金融包摂であろうが、金融排除であろうが、地域金融機関は免許を与えられ、早期警戒制度などで免許保有の妥当性が確認されます。資本的余裕がないところ、人材に余裕がないところは、褒められたことがありません。褒められたことがないながら、何とか褒められるようにしたいと考え、こうすれば褒められるかもしれないと試行錯誤をしているところもあれば、どうせ褒められることはないからと侮蔑される現状に安住しているところもあります。

     そこで「こうすれば褒められるかもしれない」といった経営戦略を開示して、その戦略効果もトレースできるようにすることで、(別に存続可能性まで保証する意図もない)金融包摂免状のようなものを行政が授与だけするようなことをやれば、褒められたことのない地域金融機関さえも金融包摂に誇りをもつことができるように思えます。そうすると下位寄せを続けているような地域金融機関のニセ金融包摂も、免状を持たない限り、世間からおかしいぞと思われることになります。

     免状に公的資金参加や税金優遇などが紐つく必要すらありません。それでも今の再編圧力の強さから、ホンモノ金融包摂は免状取得を希望するはずです。資本的、人財的余裕がないことから不良債権が問題ではない時代もなお発生し続けている苦しみから解放されるだけでもありがたいはずです。

     免状審査に公的資金の金融機能強化審査会みたいなものが必要なくらいで、あとはあまりコストもかからないとは思います。その際は是非本ブログのご常連有識者での審査をお願いしたいところですね。もちろんご常連の経営者の方はすぐに申請してくださいね。