🚩SDGs投資ととらえれば

「地方創生、さらにはポストコロナを見据えた地方分散型社会の実現」

このSBIホールディングスの主張、これを島根銀行、福島銀行など、同グループの地域銀行への出資事業に当てはめてみます。

SBIが出資している銀行は地域の二番手、三番手であり、トップバンクとの役割分担(エコシステムとでもいいましょうか)を考えれば、これらの銀行がコロナ禍で苦境にある小規模零細事業者や個人事業主を組織的継続的なリレバンでしっかりと支えることが地方創生、地方分散型社会の実現のつながることは間違いありません。

残念ながらSBIの出資先の地域銀行は、ワタシの印象では到底組織的継続的リレバンができているとは思えず、「地方創生、地方分散型社会の実現」を目指す大株主(島根銀行などでは筆頭株主)としては、当該銀行の経営陣に対し、このポイントを厳しく求めていく必要があると考えます。

小規模零細事業者等を支えていく「地方創生、地方分散型社会の実現」はSDGsの基本理念である「誰一人取り残さない」に相通じるものがあります。

これを出資先に強く促すことは「SDGsの視点からの投資」、そのためのエンゲージメントと考えられるのではないでしょうか。

「地方創生パートナーズには金融庁元銀行第2課長の長谷川靖氏を事務局長に招き、金融庁参与の多胡秀人氏もアドバイザーに就いた。」

昨日の日経フィナンシャル(週末特別版)に記載がありましたので、存念を述べてみました。

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コメント

  1. 橋本卓典 より:

    歴史は金融においても重要です。どうして、そもそもその地域に、その金融機関が存在するのかは、実は「地域経済エコシステム」(←覚えておきましょう)と一体不可分な問題なのです。地域における本来のSDGsそのものです。

    SBIが出資する二番手行以下の地域金融機関は元々は相互銀行であったり、地域で独自に育まれてきた頼母子講や無尽の流れを汲むものです。岩倉使節団が「近代化に伴う社会の分断」を防ぐためにドイツから持ち帰った協同組織、協同組合と相俟って、豪商・庄屋に由来する「銀行から排除された事業者を救う存在」だったのです。

    ところが1989年の一斉普通銀行転換という大蔵省の失政(製造業の生産拠点の海外移転で、資金需要が下り坂なことが明らかな『銀行』に全部の相互銀行をくら替えさせた)で、多くの元相互銀行は「オレたちも晴れて銀行員だぜ」と勘違いをし、少なからぬ信金信組もつられて「金融包摂」というアイデンティティーを忘れ、地域経済エコシステムをなし崩しにしてきました。

    バブル崩壊前から既にインフラとしての地域金融は脆弱になっていたのだろうと思います。金融行政が「地域経済エコシステム」を目指すのであれば、SBIの仕事はプロダクトを売ることではなく、「地域経済エコシステムの一員としてのアイデンティティーに回帰するようガバナンスをきかすこと」ではないでしょうか。

  2. 橋本卓典 より:

    「」の位置が違っていました。

    →豪商・庄屋に由来する銀行から「排除された事業者を救う存在」だったのです。

  3. 森脇ゆき より:

    「地方創生、さらにはポストコロナを見据えた地方分散型社会の実現」SBIの主張、素晴らしいですね。
    出資するからには”地方創生が見込める金融機関”と経営判断なさったということでしょうか。見込み違いの出資なら、SBIホールディングスの株主に対しても説明が必要かと存じます。

  4. 増田雅俊 より:

    金よりも銀!、などと勘違いしていた(未だにしている)金融機関関係者&金融メディアの皆さまに、ぜひとも将棋をお勧めいたします(大笑)

  5. 八代恭一郎 より:

    “多くの元相互銀行は「オレたちも晴れて銀行員だぜ」と勘違いをし、少なからぬ信金信組もつられて「金融包摂」というアイデンティティーを忘れ、地域経済エコシステムをなし崩しにしてきました”という橋本さんの慧眼、強く共感・同意します。
     地域経済エコシステムは(誰も認めようとはしない)地域金融カースト制の下で機能するものです。その地域の最低カーストが担うべきが、その地域の金融包摂。しかるに、普銀転換がカースト制の廃止のようにいったんは錯覚したものの、すべての二番手が30年間延々と錯覚してきたわけではないことだけは申し上げておきたいと思います。
     目の前に広がる猟場は、トップ行が毒の無い身の部分をきれいに食べ尽くしたような餌ばかり。そんなものは口にしてはいけないと執拗に強いた金融検査マニュアルがあっても、口に入れてしまう結果、いつまでも減らない地域の不良債権シェア。銀行員にしてはあまりにせつなすぎる現実に対する組織内での傷のなめ合い・思いやり。かといって、金融検査マニュアル漬けから事業性評価オンチ・なんちゃってリレバンはデフォルトですし、文書や会議発言もお世辞にもわかりやすいとはいえませんが、30年前の「晴れて銀行員」はさすがに錯覚だったことに気づいています。
    トップ行が毒も無いおいしい身を残してくれていたり、他の二番手以下の不良債権シェアが高かったり、現場がいつまでも働きが足りないとして容赦なくムチを入れていたりしている二番手以下はまだ夢の中にいるかもしれません。SBIさんは夢の中で錯覚を続けているところに限って、地域経済エコシステムの一員としてのアイデンティティーに回帰するようガバナンスをきかせていただきたいものです。錯覚に早々に気づき、最低カーストに戻っているところに食指を伸ばそうものなら、地方創生足かせとなる金融排除しかなくなりますもので。