🚅夢の超特急

30数年前に他界した岳父は、現役時代に国内外出張の連続でした。

遺品の中に国鉄の特急券、寝台券、指定券や、駅弁の掛け紙が大量にあり、すべてワタシが引き継ぎました。

8年前に病で倒れた時、高校時代に友人で鉄道仲間であるハカセに、ワタシの欧州・英国の鉄道グッズとともに、譲り受けてもらっています。几帳面なハカセには鉄道が好きな御子息がいて、将来は彼が受け継いでくれたらいいな、と思っています。

さて、

岳父は1964年10月1日に東海道新幹線の一番列車(下り、ひかり1号)に乗車しており、その時の記念乗車券(ひかり1号と印字してあります)がコレクションの中にあります。

ハカセが加工してくれたので、アップします。

ワタシは上りと下りの一番列車が浜名湖付近ですれ違う瞬間をテレビで見たのですが(生番組だったか、ニュース番組だったか、定かではありません)、夢の超特急のスピードに興奮したことを思い出します。

当時、新幹線の切符はバリバリのプラチナチケット。1965年3月、島根県から東京への引っ越しの際に乗りたかったのですが、まったく入手できず、夜行急行「出雲」の寝台車での移動となりました。

やっと新幹線に乗れたのはその年の夏の家族旅行で日本平・久能山に行った折、静岡までの「こだま号」です。(帰路は急行「よど」でした)

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コメント

  1. ARC より:

    ワタシも1965年3月、東京に引っ越しました(大阪から)。移動は新幹線でした。でも、当時、転勤の際はグリーン車を使うのが通常でしたが、流石に新幹線では普通車でした。まだ「ひかり」が4時間10分運転の時代です。
    その次に新幹線に乗るまでには、ずいぶん間が空きました。

  2. qzs04203 より:

    そうそう、転勤の時は今でいうグリーン車に乗せてくれるんですわ。
    特2(とくに)とか言ってましたね。

  3. ARC より:

    上ではうっかりグリーンと書きましたが、今日の記事の資料によると当時は1/2等制でしたね。
    我々世代はその前の1、2、3等も知ってます。
    ’60年、転勤で大阪へ行く時は「はと」の三等だったことをよく覚えてます。

  4. qzs04203 より:

    こちらも昭和35年の松江への転勤の折は、東京から大阪までは特急「はと」でしたね。
    摂津本山の叔母の家に着いたら夜も深まっていました。翌日は三宮から急行「だいせん」伯備線経由で島根県まで移動しました。