まだ12月14日までは日数がありますが、忠臣蔵の討ち入りの場面を思い出してください。
本所松坂町(現在はJR両国駅の南)の吉良上野介の屋敷が、隣接する旗本屋敷に林立する提灯によってライトアップされて、それが赤穂浪士たちを助けるというシーンがあります。
旗本屋敷の主を「土屋主税(つちや ちから)」といいます。映画やドラマの忠臣蔵でもメジャーな俳優さんが演じます。
土屋家というのは、そもそも甲州の名門で、甲府の武田神社にある武田二十四将像にも土屋昌次(長篠の戦で討死)が描かれています。
武田家が信玄の息子・勝頼の代に没落するとき、ほとんどの家臣が離脱し、裏切る中でただ一人、最後まで勝頼と行動を共にして殉じたのが土屋惣蔵(つちやそうぞう)です。武田勝頼一族が滅んだ天目山の近くに土屋惣蔵昌恒の「片手千人斬り」の石碑があります。
土屋惣蔵の生きざまに感動した徳川家康は、惣蔵の遺児(土屋忠直)を見つけ出し、二代将軍秀忠の小姓にして、その後大名に取り立てます。吉良屋敷の隣組の土屋主税は土屋惣蔵・忠直親子の嫡流の子孫なのです。
明日は朝から甲府に行くのですが、特急あずさで新宿から甲府に向かう時に、必ず押さえるスポットがあります。大月駅、初狩駅、笹子駅を過ぎて、長いトンネルに入ります。それが笹子トンネル。笹子トンネルを出てすぐ、日川を渡りますが、甲府に向かって右側、川の上流が武田勝頼が滅んだ天目山になります。
特急ですと、一瞬で通過しますし、そこから数キロばかり奥に入りますので、現地が見えるわけではないのですが、ここを通ると何とも言えない気持ちになります。つるべ落としの武田家滅亡の話は実にやるせないのですが、土屋惣蔵のお陰で何か救われるものがあるのです。
よく知られている通り、武田信玄時代に甲府には城がありませんでした。「人が石垣、人が城」と言われる通り、武田軍団の信頼関係こそが、武田信玄の領国経営の核でした。武田軍団の信頼関係の崩壊が極限値に達した時を測って織田信長が攻め込んできましたが、鎌倉時代以来の名家が滅びるのに時間を要しませんでした。
現代の会社経営でもまったく同じものを見ることができます。例えてみれば、土屋惣蔵は老舗企業のトップに番頭さんをはじめ幹部社員がすべて反旗を翻し、離反していく中で、一人残って残務整理をを行い、最後は自らをクビにする総務課長さん(それも潰れる直前に急遽、登用された)ですね。
武田二十四将のうち、明治まで大名家として残ったのは、真田家と土屋家です。権謀術策で戦国時代・江戸時代を乗り切った真田家は有名ですが、その対極ともいえる土屋家が存続したのも興味深いです。
コメント
面白い!!
ARCadiaさん
お褒めの言葉をいただき、恐縮。