懐かしい宿

 昨日に続いて、高遠の話です。

 そういえば、新宿御苑は内藤家の下屋敷の庭園ですが、内藤家は高遠藩主でしたね。

 さて、

 私が初めて高遠に行ったのは1973年。

 そのときに宿泊したのは、山奥の一軒家の温泉宿。

 「山室鉱泉・元湯」でした。

 その後、数年間、毎年のように訪れましたが、まさに「命の洗濯場」といったところでした。

 本文を書くにあたって、いろいろと調べてみたのですが、どうやら廃業されたようですね。

 数十年もご無沙汰していながら、「何を今更!」かもしれませんが、残念です。

 20代のころは、仕事を終えた後、金曜日の夜行列車で東京を出て、土日は寅さん気分で地方都市をうろついていました

 帰りは夜行列車で月曜日の朝に東京に到着して、そのまま仕事に行くというような週もありました。

 土曜日は現地での宿泊になるのですが、ときにはボーナスをつぎこんで、身分不相応な旅館にも泊まりました。

 とくに印象に残っているのは高知の桂浜にあった「桂松閣」。 太平洋の黒潮の波音が聞こえる旅館でした。 あとから聞いた話では、司馬遼太郎さんゆかりの宿だったようです。きっと「竜馬がゆく」などを書くにあたっての取材の際に宿泊されたのでしょう。

 島津家別邸を旅館としていた鹿児島の「重富荘」にように、復活したケースもありますが、当時、私が泊った旅館のほとんどは、いまはもうありません。


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コメント

  1. ARCadia より:

    懐かしい宿といえば

    昔々、巡検の時にお世話になった木曽路の「フジゼット旅館」が健在で、、、健在どころか立派な、評判の良い旅館になってますねえ。

    たまたま見た旅行雑誌に取り上げられていて、ビックリやら感慨深いやらでした。

    我々がお世話になった頃は「安い」部類で、素人が書いたような看板だったのに。(それでフジゼット…)

    年数を経て再訪したところで店や旅館が健在だと、ヤッテルやってる、とちょっと嬉しくなりますね。

  2. 芸の より:

    ARCadiaさん

    妻籠宿のフジゼット、懐かしいですね。

    あっしの字がひどくて、「乙」を「Z」と読んだやつがいました。

    妻籠は「保存町並み」委員会か何かの第1号でして、先日もその話になったのですが、昭和43年に行ったと言ったら、「恐れ入ります」とびっくりされました。

    今度の巡検は妻籠に立ち寄りますか?

  3. ARCadia より:

    ゼヒ!

    そうです、その後やたら持て囃されてアレマアと思ったもんです。

    駅もまだ三留野じゃなかった?

  4. 芸のない旅芸人 より:

    ARCadiaさん

    そうです、まだ三留野でした。南木曾(なぎそ)なんていわれてもねええ。

    当時は

    田口 (いまは妙高高原)

    麻績 (いまは聖高原)

    初鹿野 (いまは甲斐大和、つまらん名前になりました)