現代の木曾義仲を激励!

「行春(ゆくはる)を あふミ(おうみ)の人と おしみける」 (松尾芭蕉)

今日も大津です。

芭蕉は本当に大津が気に入っていたみたいですね。何度も何度もこの地に来ていました。本日、会った現代の近江人たちも、皆さんそろって住みやすさを強調します。

湖の造りあげる素晴らし景観と、マイルドな気候(南近江ですが)がもたらす住環境の良さは、この地の住宅着工件数の伸びからも想像できます。(もちろん、京阪への交通の便の良さやリーズナブルな価格も、住宅件数の伸びの大きな理由でもありますが)

さて、芭蕉のこの地での定宿は無名庵。現在の義仲寺(ぎちゅうじ)です。

このブログでも一度書いていますが、義仲寺は木曾義仲の討死した墓所であり、松尾芭蕉の墓も彼の遺言により、この寺につくられました。

写真は木曾義仲の墓です。

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義仲寺でいただいたパンフレットによれば、木曾義仲の墓所にあるとき尼僧が草庵を結び、それが無名庵と称されるようになったとのこと。

尼僧は巴御前(ともえごぜん)。木曾義仲の側室であり、女武者でもあったと言われています。歴史好きな人たちにとっては忘れられない名前ですね。

義仲寺に参拝した後、京都に向かい、30年来の畏友である「ねやがわの教授」と合流。彼と高瀬川に沿った割烹料理屋で、木曾義仲の話をしておりました。

「ねやがわの教授」は1980年代~90年代に一世を風靡した著名なファンドマネージャーであり、大手アセットマネージメント会社の役員を経て、大学教授に華麗なる転身をした人です。現在、京都在住。

「ねやがわの教授」は信州人。メールのハンドルネームは「信濃源氏」。まさに木曾義仲ですね。

木曾義仲は京都に入り、朝日将軍となりましたが、半年後に追討軍に敗れ、京都を去りますが、現代の信濃源氏、ねやがわの教授は老骨に鞭を打って(失礼しました)、京都を起点に日夜奮戦しています。

頑張れ!

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