「過ぎたるは猶(なお)及ばざるがごとし」
学生時代に漢文の授業で習いました。「何事も度を行き過ぎることは、不足していることと同じように良くない」といった趣旨で、孔子の論語の中にあります。
それでは、この言葉はご存知ですか
「及ばざるは過ぎたるより勝れり」
徳川家康の遺訓の最後の部分です。辛酸を嘗めつくし、耐えて、耐えて、最後に天下を取った家康らしさが出ています。
家康の遺訓は日光東照宮に行きますと目にするのですが、昨日訪れた愛知県岡崎市の大樹寺(だいじゅじ)のパンフレットにも印刷されていました。
大樹寺は徳川家康の先祖代々の菩提寺です。桶狭間の戦いで敗れた(今川軍に属していた)家康が逃げ戻り、先祖の墓の前で腹を切ろうとして、住職(上人)から諭されたところだそうです。
この寺には家康の先祖8代と徳川将軍14代の位牌が安置されています。14人の徳川将軍の位牌は亡くなった時の等身大だそうで、非常に大きなものでした。
15代将軍、徳川慶喜のものはないのですが、それは慶喜が神道であるため、位牌がないとの説明書がありました。確かにお墓の方も15代将軍さんだけは上野・寛永寺と芝の増上寺ではなく、谷中の墓地の中にありますので、納得しました。
この寺には国指定の重要文化財がありますが、その中に将軍御成の間の襖絵がありました。幕末の絵師・冷泉為恭(れいぜい ためちか)の作です。
冷泉為恭の名前を見て、ピンときました。この人をテーマにした司馬遼太郎さんの短編小説に「冷泉斬り」というのがあるからです。
冷泉為恭は京都所司代の手先になり、絵師として出入りしていた公家屋敷などの情報を集めていたという理由で、脱藩浪士などからつけ狙われて、天誅を加えられます(惨殺)。ストーリーとしてはシンプルなのですが、為恭の奥さんが京都一の美女で、それを目当てに、新撰組の強い奴や、隣家の色男が出てきたりして、結構面白いのです。
冷泉為恭に三河国、岡崎で出会うとは思いませんでした。びっくりです。
改めて、「及ばざるは過ぎたるより勝れり」
「拙速を尊ぶ」、「出る杭になれ」などと、いつも仕事仲間の若い衆に御託(ごたく)を並べている私は、「過ぎたるは及ばざるより勝れり」のクチです。とても天下人にはなれませんね (苦笑)。