南アルプスと中央アルプスが見える町

 昨日のつづき、中央本線の話です。

 JR中央本線は茅野、上諏訪、下諏訪、岡谷と盆地の中を諏訪湖の東、北、西を湖に沿って走りますが、列車から見て湖の対岸、すなわち南側にあるのが、「杖突峠」です。

 昨日の往路、復路とも、杖突峠の位置を車窓から確認しました。

 杖突峠は武田信玄の頃からの幹線道で、武田軍はこの峠を越えて、伊那方面に進軍しましたし、織田信長の軍勢が武田攻めで侵入してきた時も、この峠を越えたのです。

 峠から南下すると高遠(たかとう)に至ります。

 高遠は武田家にとって重要な軍事拠点であり、高遠城は山本勘介による縄張りと言われています。

 織田信長の武田攻めでは、高遠城において、もっとも激しい攻防戦が行われています。

 高遠は江戸時代になると譜代大名の城下町となりますが、会津藩の始祖である保科正之は高遠藩主からのスタートでした。

 そういえば、先月、会津若松の蕎麦屋さんで「高遠そば」というお品書きを見つけましたが、会津には高遠がルーツの家も多いとのこと。

 高遠は桜の名所であり、城跡の「コヒガン桜」は全国的に知られています。

 実を言いますと、20代の前半の頃、高遠にはまっていました。

 初めて高遠に行ったのは学生時代でしたが、武田信玄の軍と同様に杖突峠を歩いて越えました。

 桜や紅葉はもちろんですが、それにも増して、高遠の町から見る風景は素晴らしいのです。 南アルプスと中央アルプスが左右に展開する景観は筆舌に尽くしがたいものがあり、毎年、春先は高遠詣でをしておりました。

 昨日のあずさ号には、高遠の桜見物の団体観光客が多数乗車していましたが、非常に懐かしく、当時のことを思い出しました。


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