乗っておきたかった列車(その7)に続き、(その8)も九州です。
今回は、博多と長崎の間を5時間15分(下り)かけて走る急行「平戸」です。
同区間のメインラインは鳥栖、佐賀、諫早を通る長崎本線で、かつては東京からのブルートレイン寝台特急「さくら」、京都からの特急「かもめ」などの花形列車が走っていました。
それに対し、急行「平戸」は東唐津、伊万里、平戸口、佐世保、大村、諫早と走り、筑肥線・松浦線・大村線という、いわば裏街道をたどるのですが、車窓の美しさはメインラインの比ではありません。
玄界灘、大村湾という車窓の景観は日本の鉄道でも屈指だと思いますが、それを通しで乗車して一度に楽しめるという贅沢さが急行「平戸」にはありました。
昭和43年10月の時刻表では、急行「平戸」の下り列車は、博多発8:33→東唐津9:30→伊万里10:12→平戸口11:03→佐世保12:00→大村12:53→諫早13:06→長崎着13:48 です。
メインラインの方には同時間帯に急行「いなさ1号」がありますが、博多発7:40→鳥栖8:07→佐賀8:30→諫早9:56→長崎着10:44と、所要時間はおよそ3時間です。
博多・長崎間は何度も列車で移動しているのですが、いつもメインライン。残念ながら、筑肥線も松浦線も大村線もブツ切りの短区間乗車の体験しかありません。
いまや筑肥線の博多と姪浜の区間は地下鉄になり、福岡空港からの直通運転をしているのですが、昔はノンビリしたものでした。
松浦線のハイライト、松浦家の城下町である平戸には何度か行きましたが、仕事を絡めていたので、佐世保や松浦から車で連れていってもらいました。
「乗り鉄」の名がすたります。
平塚のハカセから送ってもらった写真を見ると松浦線は魅力満載ですね。いずれも1971年3月です。
① 今福〜調川
②松浦〜肥前御厨
③松浦〜肥前御厨
④江迎〜平戸口
⑤潜竜〜肥前吉井
コメント
急行・平戸、通しで乗ってるんだなあ、ワハハ・・・多分だけど。
昔々、九州の旅も終盤になって、長崎から博多に出たのですが、未乘の松浦線経由にして、まっしぐらに博多に出たので乗ったのは「平戸」以外考えられないわけで・・・そんなわけで「多分」。
長時間の車中では隣の女の子と話がはずみ、その印象が強くて車窓の印象がヤヤ希薄。
女の子は小学生(残念ながら)で大村から乗ってきて帰省の途上だったけど、ちょっと事情アリだったので今でも時々思い出します、どーしてるかなあと。
そうそう平戸もいいです。また訪ねたいところの一つ。
小学生の女の子を連れていたら誘拐犯と間違えられたのでは?
しかし急行平戸に通しで乗ったとは、羨ましいなぁ。
上り列車だと夕陽が最高だったのではないか、と思いますが、小学生との話でそれどころでもないか。
急行平戸に乗ったのがいつの季節だったか覚えてませんが、「上り列車」で「夕陽」が気になって調べてみると、上りは長崎発14:24なんて遅い時刻なんですねえ。
どの駅かも覚えがありませんが、女の子が下りた時は明るかったので、この時は夏休みの時季に違いありません。
博多着が19:53、、、一体この後はどうしたんだろう、博多あたり(高い)で泊まるわけないし…
急行平戸は博多を朝に出発し、長崎で折り返して博多に戻るダイヤグラムでした。松浦や平戸の人が日帰りで長崎出張できるような立て付けになっていたのではと推測します。長崎発の夕陽は抜群だったのではないでしょうか。
幼少のときに博多→平戸口で乗りました。
父の実家が平戸の度島だったので。
ディーゼル車で登り坂がしんどそうな
走りでした。今は福岡市内からでも
高速経由で2時間半もあれば行けるので
近くなったなと感じます。
プラスチック容器に入った温かいお茶
と駅弁は楽しみでした。
高校時代まで長崎県松浦市に住んでいました。地元では唯一の急行でしたので思い出も少々。実家にマイカーが来るまで(~1970年)は、大村の親戚の家に行くために祖母や姉と乗車。行きは、お昼頃佐世保駅を通る際に短い停車時間で駅弁を買うのがドキドキでした。帰りは佐世保駅に16時27分発の東京行き寝台特急さくら号が止まっているのが憧れでした。その後は高校時代、長崎にテレビ番組の予選(確かクイズグランプリ高校生大会)で松浦~長崎往復利用。受験の年に大宰府に大晦日に初詣に出かけた際、車の故障で新年早々博多→松浦に乗車。途切れ途切れですが全線走破しました。松浦線の近くに住んでいましたので、通過する平戸号は何度となく見送りました。懐かしい故郷の光景
池田さま
思い出をお送りいただきありがとうございました。