南国に初めて足を踏み入れた

乗り鉄思い出話、今日は日豊本線(前編)です。

日豊本線は、旧国名で連ねると、豊前、豊後、日向、大隅、薩摩をゆったりと結び、博多、熊本を通る鹿児島本線を動脈とすれば、静脈のような存在と言えるでしょう。

ハカセとともに日豊本線に第一歩を刻んだのは1971年3月のことでした。

門司港発 西鹿児島(いまの鹿児島中央)行、日豊本線経由の夜行普通列車でした。この列車は普通列車でありながら寝台車をつないでいたのですが、私たちは普通座席車に陣取ったのです。

門司港を21時半ごろに出て、トロトロと駅に止まりながら、早朝に宮崎に到着しました。

当時の時刻表を見ると福岡県内、大分県内はほとんどの駅に停車、佐伯を出ると急行列車のように延岡、南延岡、日向市、高鍋、佐土原と主要駅にしか停まりません。

初めて降り立った宮崎は思いのほか温かく、東京とのかなりの温度差を感じました。

宮崎の大淀川の鉄橋でSL列車を写したあと、宮崎と都城の間にある田野というところまで行ってSL撮影をしました。このときの田野の長閑な風景は忘れることのできぬものとなりました。

その時の写真です。(ハカセ撮影。私も同じスポットでシャッターを切っています)

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それから40年を経て、鹿児島から飫肥 (日南市) まで車で走る機会があったのですが、ドライバーさんから「鹿児島から田野ICまで高速道路」と田野の名前を聞いた時には興奮したものです。

日豊本線の沿線は時間の流れがゆっくりとしているように感じられ、その景観にいつも身体がリフレッシュするのですが、その中でも田野の風景は別格です。

📷📷📷📷📷

今週のハカセの写真館。

日豊本線の峠越えSLシリーズ。いずれも迫力満点の力作ぞろいです。

霧島越え(国分~霧島神宮) 1973年2月

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霧島越え(大隅大河原〜北永野田) 1974年2月

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青井岳越え(山之口〜青井岳) 1972年2月

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宗太郎越え(重岡~直川) 1972年2月

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コメント

  1. ARC(短縮しました) より:

    日豊本線の寝台車つき普通列車は知りませんでした(あっても不思議じゃないが)。調べたら、s50.3のダイヤ改正で急行日南に格上げになったようなので、残念ながらワタシの時代には巡り合いませんでした。

    それにしても、

    写真を見ると、ハカセは毎年2月に撮りに行ってるんですねェ、それも日豊本線なんぞに。あらためて、巨人じゃあ・・・

  2. 旅芸人 より:

    ハカセの日豊本線の峠越えシリーズはすごいですね。

    数年前に佐伯(もちろん仕事です)から日豊本線経由で鹿児島(もちろん仕事です)まで行きました。

    佐伯と延岡の間の宗太郎峠は、電車特急「にちりん」がヨタヨタ走るぐらいの難所でした。国分から霧島神宮への連続勾配はかの職場で何度か車で走り、土地勘があります。

    いずれもSL時代は大変だったろうと思っていましたが、ハカセの写真集でそれを見れたのはラッキーです。