SL三重連のメッカ

50年前の奥中山、鉄道好きにはもっともホットな場所でした。

68年10月のダイヤ改正での東北本線の全線電化を控え、東北本線のSLの最後の奮闘を見ようと全国から鉄道ファンが集まってきたのです。

といっても、人は少なく、いまとはまったく異なり、のどかなものでした。

奥中山は岩手県の北部、一戸町にあります。地図で確認したところ、奥中山高原駅と名称変更となっており驚きました。

高原駅との名前が付けられるように、奥中山に向かって列車は上り勾配となるため、当時は重連、三重連のSL列車が頻繁に走っていました。

高校2年生の夏休みの家族旅行は東北だったのですが、ワタシは1日だけ単独行動で奥中山に立ち寄ったのです。

上野から常磐線経由の夜行列車 第二十和田で盛岡まで乗車。

盛岡駅で電気機関車を蒸気機関車にバトンタッチして、青森に向かう第二十和田を見送り、盛岡発の普通列車で奥中山に向かいました。

奥中山駅の近辺で何本かSL列車を撮影したあと (写真は残っていませんが)、奥中山から尻内まで移動。

尻内駅では南部鉄道に乗りたかったのですが、五戸までのこの路線は水害のために運転休止の状態で断念しました。

尻内というのは現在の八戸駅です。

尻内からは、後続の青森行 急行列車に乗車していた家族と合流し、青森に向かいました。

初めての青森でした。

その後、青森とここまで深い縁ができるとは、その時は思いもしませんでした。

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ハカセの奥中山のSLの写真が届いています。

奥中山_D51三重連貨物列車_1968年8月

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奥中山_D51重連客車列車_1968年8月

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奥中山_急行「十和田4号」_1968年8月

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コメント

  1. ARC より:

    夏に家族旅行で青森とは、さては「ねぶた」狙い?

    ワタシも一度だけ観たことがあります。通りかかったらやってたという文字通り「遭遇」でしたが、予想以上によく見えて楽しめました。八戸あたりからもはねとが大挙繰り出してるようで、八戸-青森間で乗り合わせましたが賑やかな車中でした。

  2. 旅芸人 より:

    50年前の家族旅行は浅虫温泉で宿泊し、弘前城に行きました。

    ねぶたはここ10年ぐらい、青森の銀行での仕事を始めてから。弘前のねぷた、五所川原の立ちねぶたも忘れていませんよ。

    五所川原の立ちねぶた館はオススメです。説明をする係員の女性の津軽弁と明るさが良かったですよ。