鹿児島で仕事をしていたころ、週末は県内を路線バスで周遊していました。
バスの座席から見る風景は、乗用車からの車窓よりも視座が高くなり、新しい発見があるものです。
路線バスの中には、かつての鉄道区間を踏襲したものがあります。
志布志から大隅半島を鹿屋、垂水へ、路線バスでかつての国鉄古江線をたどったのが懐かしいです。そして、垂水港から鴨池港(鹿児島市)まで乗船したフェリーのうどんが、やけに美味かったことも思い出します。
とくに忘れられないのは伊集院から枕崎までの鹿児島交通 (私鉄) の区間を走る路線バス。全線乗車や、区間乗車も含め何度も利用しました。
沿線は歴史の宝庫で、島津義弘の像、小松帯刀の墓、竹田神社などがあります。
これらのスポットは、2013年6月10日の 本ブログ、
「鹿児島で仕事しているって、ホント?」
で紹介していますのでご参照ください。
沿線第1の市街地は加世田。
その中心部にある「竹田神社」は、島津家中興の祖といわれる島津日新公 (島津義弘の祖父) ゆかりの地です。
日新公の「いろは歌」47首は、薩摩藩士の郷中教育の規範となったものと言われています。
冒頭の「い」、
「いにしへの道を聞きても唱えても わが行にせずば かひなし」
昔の立派な教えや学問もそれを実践しなければ意味がないということですね。知行合一とでも言いましょうか。
さて、
この線は地元の年輩の方には、南薩鉄道という旧名の方が馴染みがあるようです。
昭和30年代までは阿多駅 (ちょうど中間点、加世田の北) から知覧への支線が分岐していました。乗車体験のある人に聞くと、阿多から知覧までは急勾配の登りで、ディーゼルカーが唸りながら歩くようなスピードで走行していたそうです。
1960〜70年代、鉄道趣味の雑誌で、鹿児島交通の流線型のディーゼルカーは何度か取り上げられていました。
そのせいか、常にワタシの乗りたいリストの上位を占めていました。何度か伊集院駅を通り、その気になれば乗れる状況だったのに、「次でいいか」と先送り。
その後、海外転勤中に路線が廃止 (1984年) となってしまい、あとの祭り。
鉄道の頃の駅の跡地らしいバス停を見るたびに、「後悔先に立たず」を痛感したのです。
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最後にハカセ写真館です。
鹿児島交通枕崎駅_1976年3月
鹿児島交通加世田駅_1976年3月
コメント
南薩鉄道への思い、、、アッシも乗り損なった口です。
当時、国鉄路線の方が廃止になりそうで、そちらに気をとられてました。
というより、南薩線はどうもアクセスが悪くてねえ。廃止後のバス路線にも乗っていないので南さつまの辺りは未踏といっていいのです。その代わり、焼酎は愛飲してますよ。
ハカセの写真にある102号車。この車両、豪雨による路線寸断(廃止前年)で枕崎に取り残されたまま結局加世田には戻れなかったとか。
伊集院から枕崎の路線バス、オススメします。
車窓の変化が楽しい。
加世田には鉄道記念館みたいなのがありますよ。
正月明けに行った時は、伊集院を朝出て、バスで全線走破のあと、枕崎では、さつま白波の本社に行って、工場見学して、焼酎をいただき、港の食堂で魚の定食を食べ、午後のJRで枕崎から泥酔して鹿児島に戻ったのを思い出します。
イヤあぁ、、極楽、極楽。
最高でしたね。