続 融資研究会に出席して

果たして、昨日のブログに記載したポスト金融検査マニュアル時代の波を地域金融機関は乗り切ることができるのでしょうか。

研究会では、地域金融機関の業界より、画一的でなく地域特性を踏まえて「創意工夫」できるようにしてほしい、という意見が出たので、基本的に米国式の定性要因重視で良さそうに聞こえます。

ところが、「負担感がないように」という要望 ??? も、併せてあったのには驚きました。

負担感がないように「創意工夫」するのが、当事者である金融機関の力の見せどころだと思うのですが。

???

さらに某業界からは、「ある程度の目安を作ってほしい」という声もありました。

プリンシプルベースの衣 (ころも) をかぶったルールベース症候群のように見えます。

地域金融機関だけでなく、監査法人にとっても大きな問題ですが、果たしてプリンシプルベースの流れに対応できるのでしょうか。

プリンシプルベースに対応できない金融機関や監査法人には、ミニマムスタンダード (たとえば現状維持) をという意見もあるようですが、現実問題、当面のところ、それは必要かもしれません。

ただ、ミニマムスタンダードでしか対応できない地域金融機関は経営リスクが高く、大きな経済環境変化などに呑み込まれることになりかねません。

またルールベース症候群の監査法人は顧問先離れが進み、捨てられる監査法人への道を進むことになるでしょう。

いずれにしても「思考停止の指示待ち族」に、明るい未来はありません。


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コメント

  1. 新田信行 より:

    私は、地域金融機関の多くが、リレーションキャピタルを棄損し続けているように感じ、心配でなりません。目利き力の無い職員、シャッター商店街。金融の支えの無い地域やコミュニティはどんどん衰退します。何を組織価値とし、どのようにサステナブルであろうとされているのでしょうか?

  2. ミザール より:

     信金・信用組合は本来、協同組合運動が中心にあり、協同組合運動を金融面で補完する活動事業体として生まれたと思っています。

     学生の時、ゼミの先生より紹介されたのが今の信用組合。私は金融機関は嫌ですといったところ、信用組合は金融機関ではないと諭され入った次第です。結果は良かったと思っています。

     信用組合は単なる金融機関ではありませんでした。しかしバブル崩壊以降、いやバブルのころから、信用組合は単なる金融機関になってしまったように思います。利益を目的にしだしてからです。信用組合は資本主義の中に完全に埋没してしまったかのようです。信用組合の持続可能性の基盤はやはり生活に苦労する人達をしっかり支援すというところにしかないと思っています。そうした人々と接点づくりに努力し、支援をしてゆくかが信用組合に求められているのではないだろうか?今の世の中みんなが華やかに生きているように見えますが、格差は昔を大きく凌駕しています。預金のない世帯が3割以上いる現在。信用組合はもっと

    貧しい人々に寄り添っていく必要があります。利益というものを意識すると信用組合の対象でない先にも手を付けてしまうように思います。