橋本卓典さんによる、「捨てられる銀行」第3弾、「未来の金融 〜 計測できない世界を読む」(講談社新書) の予告編となる興味深い論考が、現代ビジネス (講談社オンライン) にアップされました。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59654?page=3
改めて、地域金融 / 中小企業金融は「計測できる世界」における出来事や、そのための“形式”の忠実な奴隷となっていることを痛感しました。
地域金融機関のコーポレートガバナンスは、ほとんどが形式主義。社外取締役の構成や、執行と監督の分離も教科書どおりで形は整えられています。しかしながら、ガバナンスが本当に機能している金融機関はほんの僅か。
リスク管理も然り。金融検査マニュアルなどのルールに合致したものをアウトプットする (事務局) ことはできますが、たとえば統合リスク管理のように、その本質を理解している経営陣はどれだけいるのでしょうか。
間近に迫った、ポスト金融検査マニュアル時代。
金融行政サイドはこの形式主義で塗り固められたトーチカを、対話力を持って切り崩して行かねばならないのですが、これもまた難易度は高そうです。
金融排除も、その根底には形式主義があります。
思考停止の形式主義がはびこる地域金融/中小企業金融の世界に、フォワードルッキング、プリンシプルベースを求めることに絶望を感じるワタシですが、気を取り直して、本書を読もうと思っています。
2月に発売とのことですが、本屋の店頭に並ぶのを指折り数える毎日です。
コメント
「形式・手段・ルール」は、大抵の不安から解き放ってくれます。なにせ「形式通り・ルール通り」にやっているんですから。しかし、「形式・手段・ルール」が知らず知らず、それ自体が「目的化」してしまうことがあります。「やった気にさせてしまう」からです。
金融行政が「形式、過去、部分」から「実質、未来、全体」へとシフトさせると宣言したのは、時代を映しています。まさに象徴的です。
形式は実質を台無しにする怖さがある
過去は未来を台無しにする怖さがある
部分は全体を台無しにする怖さがある
誰もが知っているはずの、この「怖さ」を謙虚に見つめ続けることがガバナンスだと思うのです。取締役の役割、執行役員の役割と「形式」はあれども、持続可能な企業価値という「実質」が損なわれれば、元も子もありません。
つまりは、実質、未来、全体が損なわれているのではないかと常に自戒、自省することです。
折しも金融検査マニュアルは4月以降は廃止となり、新たな融資管理のあり方に移行していきます。金融庁も苦悩しているはずですが、間違いなさそうなのは、国際会計基準(IFRS)9号でも米国会計基準でも打ち出されている「将来損失をより厳格に反映させていこう」というアプローチを日本もいずれ踏襲するだろうということです。
過去の返済能力で格付けし、過去の倒産実績率・貸倒実績率で引当をする検査マニュアル(別表)がつくりだした不良債権処理モデルの融資管理は遥か昔に時代遅れとなっているのです。むしろ計測できない副作用をもたらしました。
企業にはライフステージが存在します。過去に借りたお金は将来に返します。みなさんご存知の通り、我々は誰ひとり、未来から逃げることはできないのです。
未来とは何か。我々は、現在とはテクノロジーも価値観も金融レギュレーションも間違いなく異なっている10年後、20年後の未来(つまりは不安)にどのように対処すべきなのでしょうか。
そんな問題意識で挑んだ作品です。
著者から直接コメントをいただき、恐縮しています。
捨てられる銀行3、しっかりと読ませていただきます。
発売まで、あと数日ですね。
計測できない世界に果敢に挑んでいくことも重要ですが、計測できている気になっているものが、実は簡単な方法での計測に執着していることから、問題の本質を捉えきれないということが地域金融については多いように思えます。
アンケート対象先が必ずしも行政に真実を伝える動機を持っているわけではない企業アンケート結果はどこまで信頼性があるのか?貸出金利回りの低下がとまらない中、(セグメント内の貸出金利回り分布を考慮しないまま)セグメント毎の平均貸出金利回りだけを論じて、セグメント毎のあるべき貸出推進方法を検討してよいのか?
おかしな結論をもとに、官民ともにおかしな地域金融戦略に突っ走ることが増えているように感じております。
「行動こそが未来を決める!」捨て銀3、発売楽しみです。「今までは◯◯でした。」と前例を踏襲することで、思考停止になっているのかも。