競争政策を地銀とバスとを同じ次元で論じることに違和感を感じて、昨日のブログで「地銀とバスは同じか」という渾身のメッセージを出しました。
これに対し、橋本卓典さんから、明快なコメントをいただきました。
是非ともご一読ください。
橋本さん、ありがとうございます。
地域金融、中小企業金融に関して、思うところをズバッと発信します。
競争政策を地銀とバスとを同じ次元で論じることに違和感を感じて、昨日のブログで「地銀とバスは同じか」という渾身のメッセージを出しました。
これに対し、橋本卓典さんから、明快なコメントをいただきました。
是非ともご一読ください。
橋本さん、ありがとうございます。
コメント
バスは単なるトランザクション?
降りるときに、ありがとうございましたとお互いに言える
関係が存在するとすれば、それは乱暴過ぎるコメントですね。
なるほど、当事者?の「バス屋」さんとしては、一言あるところなのですなあ。バス事業にもトランザクション業務とリレーションシップ業務があるのかもしれないですね。ただし他業種に比して後者の割合は極端に小さいのではないですか?
増田さんのコメントで充分ですが「のりもの好き」からもひとこと。
バスがトランザクションであるのは論を待たないと思いますがなあ。
トランザクションがバスの本分でしょう、トランザクションを抜いたらナニになる?
大元のコメントも、トランザクション「だけ」と言ってるわけでもあるまいし。
ドローンが荷物を届けたり、自動運転もレベル4が言われたりの時代、
将来、自動運転バスが出現してもバスの本分は変わらないでしょうが、誰に「ありがとう」というのだろう。ロボットが応えてくれるのかな、あたしゃゴメンだけど。
> 「バスは単なるトランザクション?」
ここからすでにピント外れ?
トランザクションバンクからも文句が来そう。
「ウチだって、ありがとう、くらい言うよ」
現役時代に地方路線交通を担当していましたが、地方交通は車社会の変遷、地方過疎化、人口減少、高齢化、地方財政の困窮などに対応しつつ、社会的共通資本としての「足」の維持に取り組んでいます。この後も、ライドシェアなどに追い詰められのでなく相互連携の模索の可能性もあると考えます。それの並行して労使双方の歩み寄りで内部リストラも進めています。
さて地銀や信用金庫は何をしていたのでしょうか?社会的共通資本としての真の自覚があるところは少なく自己生存至上主義に染まっているのではないでしょうか?
日経新聞の記事の見出しだけでは同類項に見えますが、そこの状況になる過程とその間の当事者行動は大きく違うと考えます。
決まったルートを、決まった時間に、決まった運賃で。それを期待する乗客に対してキッチリと安心できるサービスを提供してくれるが路線バス。
一方、料金は高くなるものの、何処でも乗降りができ、短時間で目的地に着きたいという乗客の要望を、迂回路を駆使して実現してくれるのがタクシー。
地域金融機関は路線バスよりも寧ろタクシーに似ているのでしょう。
尤も、今回その維持が議論になっている「金融サービス」とは一体何を指すのやら。預金?内国為替?消費者ローン?事業性融資?外国送金?金融商品販売?或いは収納代行や貸金庫などの付随業務?新札の両替?
上記のいくつかでは地域金融機関を代替するサービス事業者が既に出現している昨今、地域金融機関としてその維持が期待される「金融サービス」とは何なのかについても、今一度精査されるべき。
同時にその「金融サービス」の維持に対して、合併による規模のメリットは不可欠か否かについても。
地域金融に話を戻しましょう。
ある地銀支店長が言いました。安い金利で貸出をすることは顧客も喜ぶと。
試算表や他行残も提出せず、代表者勘定と会社の勘定がどんぶり勘定でも、安く貸してくれて
ありがとうと言っているでしょう。
日本のサービス業にはチップの習慣はありません。チップとはサービスを受けたお客様が値段を
決定するという意味があります。
チップももらえないトランザクション地域金融で、地域金融が安い運賃のバス会社同様に安く貸してくれて
ありがとうばかり言われて喜んでいたらどうなりました?
顧客サービス業務利益は赤字になりました。お客様が喜んでいると勘違いしながら価格決定権は手放さなかった2つの業態が
未来投資会議でやり玉にあがっているのです。
旅芸人さんは早くから、こうなることを危惧して、チップをもらえるようなリレバンを提唱してきたように思えます。
トラバンも確かに存在するでしょう。ただ、旧知の地域金融機関の方は、「逃げない!!」宣言をして、「しっかりと顧客に向きあえば向き合うほどコストも発生するのです。」と丁寧に説明をして、安かろう、悪かろう ではない、それなりの金利&手数料を納得して頂いている方のお話も聞いたことがあります。
トランザクション=悪ということではなくて、大事なのはそのビジネスが真の顧客利益(=顧客本位)になっているかどうかだと思いますよ。
鉄道やバスなど公共交通機関を利用する多くの乗客が求めているものは「目的地まで定額で定刻通り安全に到着すること」であり、正にこれが顧客本位そのものだと思います。なので、トランザクションであってもそれは決して悪ではなく、寧ろ正しいことなのです。
金融機関の場合は顧客本位の変数が非常に大きい為、トランザクション=顧客本位とならないケースが多いのではないかと感じます。ただ、一定数「トラバン企業」は存在しておりトラバンの需要もあるのでしょうが、こちらは「顧客本位」ではなくせいぜい「顧客満足」止まりまでしょうね。
「東北の銀行員」さんに座布団一枚!!
>「あなたに運転してほしい!」というのはあまりありません。
と書いた橋本です。もちろん「あなただからこそ」という関係性があるバスの存在が皆無だとは書いていません。顧客から見れば「あまりない」ということです。居眠り運転手だったり、睡眠時無呼吸症候群で意識を失う運転手だったり、どこぞの飲酒飛行機機長より、眠らない・飲酒もしないAI運転手の方が安心かもしれません。いずれにせよ選ぶのは顧客です。
トランザクションが「悪」だとも書いていません。これからも残るでしょう。でも、人である必要はありません。トランザクション(右から左への処理)と、顧客が感じるならば、誰でもいいのです。その意味で、トランザクションサービスは地元金融機関でなくてもいいのです。選ぶのは顧客です。
長らく「長短金利差の収益&トランザクションアセットの規模拡大」こそが王道のビジネスモデルだった銀行は、金利環境の変化、そしてテクノロジーの進化によって、重大な岐路に立たされています。
端的に言えば、トランザクションの合理化(規模のメリットの追求)として本来必要だった「人切り」という現実からいよいよ逃げられなくなったということです。人間の銀行を目指すのであれば、リレーションとトランザクションのバランスを考えねばなりません。容易に解雇できない多すぎる人員を抱えることになる合併は脅威だと思います。