平成筑豊鉄道、続編 2019/4/30 九州沖縄(除く鹿児島) 3 平成筑豊鉄道の前身である糸田線のSL貨物列車です。 バックに見えるのはボタ山で、炭鉱地区らしい景観です。 (糸田〜後藤寺、1974年2月25日) ボタ山といっても平成生まれには??? かも。
コメント
まだ国鉄の時代、40年ほど前か、筑豊の、入り組んだ炭田路線の未乗路線を潰そうと出かけたことがありました。
虫食い状に残った未乗区間を2日間で制覇するという綿密な計画を立てて臨んだのですが、、、痛恨の接続ミスで敢えなく惨敗。
以来、そんな企ては考えもせず、もう記憶も薄れてますが、もしかするとそれが糸田線だったかも。
痛恨なのは・・・
ある駅で別路線に入る列車に乗り換えるハズが、その駅に着く前に対向列車とスレ違ったのでした。
エエーッ、この線って複線?
アレって乗るはずのヤツ?
ってわけで綿密な計画は1日目で瓦解しました。
未乗区間は残ったままです。
※この話、どこかで書いたかも、、、どうも既視感が・・・
初めて足を踏み入れた北九州の鉄路で驚いたのは、非電化で複線区間があったこと。
石炭を満載した貨物列車が頻繁に走るのを見て、日本の産業はここにありと思いました。
度々スンマセン[補足]
どうも、糸田線から金田駅で伊田線に乗り換えようとしたのではないかと。
伊田線は複線で糸田線とは金田駅に向かって並走する部分が長いのですが、そんなことはツユ知らず、駅で接続するものと思い込んでいた?
糸田線から伊田方面に行くのに、ワザワザ金田を経由する人はいないだろうから接続なんかするわけがない。
田川伊田駅近くにある石炭・歴史博物館。時間があったので入ってみたのですが、これはなかなかです。
再現された炭住なども、時代や職位による違いで何棟も作ってあるのですが、
その一つを見て、同輩(筑豊生まれ)が「生家はこれと全く同じ」と感動してました。
実はワタシの生家(安い都営住宅)もこれと全く同じ間取りでした。
(この話も既視感が・・・)