先日、某金融機関の内部会議での議論で、銀行経営を熟知した社外役員の方から、
「他の金融機関に融資を肩代わられた案件の中身をしっかりと分析すべきではないか。反省材料が詰まっており、今後のために絶対に行うべきだ。」
という意見が出されたそうです。首肯、首肯。
ほとんどの地域金融機関の会議では、肩代わった案件は嬉々として出てくるのですが、逆の場合は沈黙です。まるで大日本帝国の大本営発表のようです。
さて、10年ほど前の出来事です。
某地域金融機関で、ある営業店 (大店です) の基幹取引先 X 社向け貸出残高を県外の金融機関に全額肩代わられるという事件が起こりました。
経営会議では蜂の巣を突いたような騒ぎになったのですが、そこでの話は、社長はドライな性格で、低金利に目が眩んだ“恩知らず”だとの「非難」と、同社に設置している ATM を取り外せといった「報復措置」に終始したとのこと。
低次元な話で役員たちが溜飲を下げている一方で、監査役が肩代わられに至るまでの当該企業との交渉履歴をさかのぼったところ、企業サイドから要望や不満のサインが度々発せられているにもかかわらず、営業店がまともに取り合っていなかったことが判明したそうです。
この監査役の問題提起を受け、執行部が再発防止策を講じたかどうかは定かではありませんが、顧客の声に耳を傾けてすみやかに対応するという基本動作が現場に浸透していれば「突然、肩代わられる」などということはレアケースではないでしょうか。
いずれにしても肩代わられ事例と謙虚に向き合い、失敗の本質を検証し、現場で共有しなければなりません。
大本営発表に酔っている場合ではないのです。
コメント
このような現象は「経営危機」の兆しであることは間違いありません。同じようなことが、中途退職者が発生した時に、なぜ辞めざるを得なかったのかという退職者の視点を欠き、まるで裏切り者のような扱いで済ませるということがあります。いずれも事象を自己と他者の双方から検証するという基本動作を欠く欠陥経営です。くわばら、くわばら。
メインバンクと勝手に思い込んでいた貸出先が経営窮境時にまともな経営支援もせずに、貸出先が自力で経営再建されていたにも関わらず、肩代わりされると恩知らずという経営陣などは私が在職した信金でもいました。そこは冷静に原因分析をして、当該貸出先以外の不満をうっ積している先がないかを調査して、こんなことが再発しないよう改善策を検討し、実行するのが先決です。中途退職者が続発するのはその金融機関自体に魅力がないか、当該金融機関の上司などが尊敬に値しないのか、いずれに将来を悲観しての決断であるとしか思えません。
当組は、他行の肩代わりセールスは厳禁です。それでも、他行に耐えられなくなった方が、駆け込み寺のように、当組にいらっしゃいます。現場のファクトは恐ろしいです。当組もまだまだですが、当組の目指す文化を、全ての職員に浸透出来るよう、全力を尽くします。
倒産分析を、「どこで判断を間違えたか?}という視点で行うべきだと、私は主張しています。
支援すべきタイミングで回収に走ってしまったケース、業推無罪の罠にはまり本来出してはならない先に融資を進めてしまったケース、数は少ないですが止む負えない破綻もあります。ケースは様々です。
もちろん、判断の前提に、地域金融機関の矜持が必要であることは言うまでもありません。
私の「計測できない世界」の思考法も同じです。「誰でも容易に見える世界」とは、正反対の「見えていない世界」にこそ洞察を深めるべきなのです。
①「なぜ肩代わりができたのか」は、表彰・好事例評価などの点から分析したくなるバイアスが働きますが、
②「なぜ肩代わりされたのか」は責任追及論ぽくなり、組織内では分析したくなくなるバイアスが働きます。
かつてのイスラエル軍でも同じような問題意識からの研究の見直しがあったようです。すなわち、
①「なぜ戦闘機が撃墜されたのか」に研究者は没頭しやすいのですが、
②「なぜ戦闘機は被弾したのに撃墜されずに帰還できたのか」には、「当たり前すぎて」研究は及びにくい
というものです。「被弾しても大丈夫な部分」を知ることも同様に重要だったということです。闇雲に戦闘機の装甲を厚くして、操縦性を悪化させてしまうと撃墜率が上昇してしまったということです。
肩代わりされた側の、特に担当者であればその予兆というか思い当たる節はあるのだと思います。
本来であればその反省を活かし今後の経営に役立てる貴重な機会となり得るのですが、担当者に「自分の評価を下げたくない」という心理が働くとしたら、結局他行や顧客のせいにして「お終い」となるのではないでしょうか。
よく銀行の人事は減点主義と言われたものですが、旧態依然の人事考課を変えない限り、こういった真相を明らかにするのは難しいのでしょうね。
「顧客や他行のせい」にするのは、現場の長で、本部への言い訳の時です。
現場では、肩代わりされた担当者をパワハラ紛いに叱責し、追い込みます。
低金利政策以降、以前では考えられない協会保証融資の肩代わり戦略にはびっくりしました。取引先の融資枠確保や返済資金繰り支援としてなら理解できるのですが、融資増強のために金利を武器とした単なる融資増強戦略で、もはや金融機関でなく物売り業種に変わったと感じました。
肩代わりは、現低金利政策以前にも多々ありました。金融機関の対応の問題もありますが、顧客が自身の将来経営設計を考えでなく、単に八方美人的に兎に角金利を安くして得をすることだけ考えている顧客が多いのも事実です。他行の提示金利をネタに金利引き下げを強引に要求してくる顧客も少なくはありません。悪い世の中になりました。
低金利に目が眩んだ“恩知らず”だとの「非難」と、同社に設置している ATM を取り外せといった「報復措置」に終始し、(ドライではなさそうな)役員までが溜飲を下げた。笑えます。
金融排除/包摂を選択できる地域金融機関の、貸出残高ベースのメイン先に対する薄っぺらい愛情が丸見えですね。貸出残高ベースのメイン先は必ず儲かっていなければならないと信じているので、肩代わられて利収も減る中、(ATMでも取り外さないと)短期の個社別採算が確保できないと(メイン先が儲かっているかどうかも測定したことのない)ハイスペックの管理会計システムが示唆したのでしょう。個社別採算が儲かっている限りにおいて、ATMをおいてあげる程度の愛情を注ぎ、少々の苦情は痴話げんかのようなものと慢心していたはずです。
ここまできっちりしているから、おそらくこの銀行は大幅な収益減を免れ、新しい早期警戒制度でのスクリーニングにも引っかからないんでしょうね。メイン先ですら、個社別採算ありきの愛情程度でサステナビリティは盤石となるのに、地元へのあふれる愛情からの金融包摂で、全体採算を確実に悪化させるような選択はしないでしょうね。金融包摂したものがバカを見る地域金融。おかしくないですか?