10月8日の「新潟中央銀行破綻20年、残す課題と教訓 」(日経新聞新潟版) を読み、ガバナンスという言葉が人口に膾炙されていない中でのオーナー経営者の暴君ぶりに改めて驚愕しました。
〜「融資の申込者から審査担当者、資金使用者まで全てが大森龍太郎 (注: 当時の頭取)だった」と、90年~94年に審査部の審査役を務めていた立石徳英氏は振り返る。「『これは頭取案件です』との営業店の一言で融資が実行された。『無審査の審査』をしていることに葛藤があった」(中略)
「頭取と銀行を守る覚悟を決め、率直に申し上げているのです」。当時専務だった立川満氏は声を張り上げて融資に反対した。それでも案件の結論は変わらず、原案のまま融資が実行された。その後93年2月、立川元専務は「諫言書」を大森氏に手渡す。だが、約20日後に言い渡されたのは、専務解任と反対した融資案件 ロシア村の「開設準備室長」への就任打診だった。立川氏は同年7月に銀行からの退職を決める。92年12月の常務会で意見した別の幹部も後に解任された。〜 (本文)
たしかに頭取の姿勢は話にならないのですが、頭取に諫言書を手渡し、頭取のお手盛り融資に反旗を翻した専務や幹部がいたことは知りませんでした。
20年を経て、コーポレートガバナンスコードが整備され、コンプライアンスも浸透しているように見えます。
しかしながらワタシには、地域金融機関の経営陣が従来にも増してお友達クラブ化しているように感じられます。骨のある人間、尖った人間は役員セレクションの前段階で排除されているからです。
さすがにいまどきトップの情実融資はないでしょうが、人事権を盾にしたトップの暴走行為が少なくない中で、お友達クラブの役員たち (社外も含む) が果たして新潟中央銀行のようにノーを突きつけているでしょうか。
厳しい経営環境、フィンテック業界などからの攻勢の流れを、形式主義、前例踏襲型のお友達クラブで乗り切れるとはとても思えません。
こういう金融機関には自浄作用がなく、落ちるところまで落ちて外部圧力がかからない限り、変革することは難しいです。
地域の顧客にとってはたまったものではありません。
コメント
例え同族経営でなくとも新潟中央銀行のようなことは今でも十分起こり得ると感じます。
「サクセッションを誤らないこと」
これは頭取の重大任務です。
安来のSLD-MAGICってトラックに乗ってグリーンのペイント目立つのでよく出荷されているのがよくわかるけど、日立金属は上場廃止したんだよな。プロテリアルだっけ。