先週の土曜日に続いて武将の銅像の話です。
先週の銅像の主 島津義弘は関ヶ原の戦いの最終章において、正面突破という奇策で退却しました。
島津軍を追撃したのは、家康の4男 松平忠吉(武州忍城主)とその姑である井伊直政(上州箕輪城主)でした。
薩摩勢は「すてまがり」という殿(しんがり)の捨て身の狙撃兵を並べて東軍を食い止めていくのですが、松平忠吉も井伊直政も「すてまがり」により被弾します。
戦後に井伊直政は近江に転封となり、石田三成の旧領を治めることになるのですが、彦根城完成前に直政は死去。すてまがりによる鉄砲傷が死因ともいわれています。
写真は彦根駅前の井伊直政像。後方にそびえるのは佐和山。
直政像の馬の前足は上がっていますが、直政は戦病死なのでイギリスの都市伝説通りなのかもしれません。