京都から草津線経由で伊勢市、鳥羽に向かう国鉄の急行「志摩」は1986年に廃止になりました。
理由は定かではありませんが、競合との戦いに敗れたことが原因かと思います。
京都から伊勢神宮へは、昔も今も近鉄特急が走っています。
1968年10月の時刻表によれば、
☆国鉄 急行「志摩1号」:
京都発 9:22→ 伊勢市着 12:00、
☆近鉄 伊勢特急 :
京都発 8:35→ 伊勢市着10:57、
京都発10:35→ 伊勢市着 12:57、
近鉄は16分速い上に、おしぼりも出る人気のビスタカーです。
値段は近鉄特急は860円 (座席指定です)、一方、急行志摩の2等車自由席だと700円、1等車指定席だと1560円。
絶妙な値決めですね。
近鉄は志摩1号の時間帯に伊勢特急を走らせていません。
Hさんの強いリクエストもあり、当時の近鉄特急ビスタカーの写真をハカセに送ってもらいました。
残念ながら、ビスタカーの第1世代10000系のものはありませんが、第2世代10100系の雄姿をご堪能ください。
ビスタカー10100系_松阪~松ヶ崎_1968年3月27日、
ビスタカー_明星駅にて_1968年3月29日、
コメント
今でこそ二階建て車両はJRでも普通になりましたが、近鉄沿線に住んでいた者にとって、特急で二階建て車両のビスタカーは憧れの存在でした。
旅芸人さんのブログで思い出しましたが、確かに以前は蒸しタオルのおしぼりも配られてましたね。特急独特の車体カラー(近年リニューアルしましたが)も相まって、近鉄では「特急」が強烈なステータスとオーラを放っていました(単なる個人的なノスタルジー?)。なので、東急や京急の「特急」を初めて見たときには、なんだか一抹の寂しさを覚えたものです。
s35年に居を豊中に移してから、名古屋の叔母宅を訪ねるときは、特にねだって「ビスタカー」を選んでました。
その頃、二階建てとおしぼりサービスをローカルテレビで盛んに宣伝してました。
それにしても、始発のウエロクまでどうやって行ったんだろう。
そして、乗ったのは10100系でしょう、編成の2両が二階車でした。
その二階キッップは激戦だったでしょうね、多分。
ARCさん、
調べてみたら、昭和30年代には地下鉄谷町線も堺筋線もなく、谷九駅は存在しておりません。いまだと谷九から上六まで至近距離ですがね。
ARCさんは鶴橋まで大阪環状線に乗って、そこから近鉄にお乗りになったのでは?
そうなんす、鉄道駅にはウエロクなんてのはなくて、でも覚えてるのはウエロクなんです。
近鉄百貨店もあったし。
バスとかで行ったのかなあ。
当時、ウエロクには市電が通っていました。
市電に乗ったのでは?
ウムム
バスなら「上本町六丁目」行きがあったかもですが
大阪新参者の親が市電まで乗りこなせたか。(一度ならずウエロクを利用したが市電の覚えなく)
ヤハリ謎だなあ。
話変わりますが、大阪でたまげたのは地下鉄の切符。
切符買って、次は改札で渡すだけ。(全区間単一料金だから)
だから改札前には回数券を分売するオバちゃんが常に5人くらいいました。(出札窓口で買うより手っ取り早い)