日曜日は乗り鉄紀行。
1974年〜1980年のわずか6年間でしたが、博多と宮崎を結ぶ肥薩線、吉都線経由のディーゼル特急列車がありました。
宮崎市の中心部を流れる大淀川に由来する「おおよど」です。
博多~宮崎の鉄路は今も昔も小倉、別府、大分、延岡経由がメインラインなのですが、1974年当時は日豊本線は宮崎まで電化しておらず、ディーゼル特急「にちりん」で6時間を要していました。山を越えて、熊本県を縦断する「おおよど」の所要時間とほとんど変わりません。
「おおよど」は、宮崎を出ると日豊本線の都城から吉都線に入ります。いまやワンマンカーの普通列車がほそぼそと走るだけの吉都線ですが、かつては7両編成のクリーム色に赤いラインの入った特急列車の姿を見ることができたのです。
吉都線は都城駅から肥薩線の吉松駅までの61.6キロ、途中には小林市(宮崎県)があります。昭和初期までは、吉都線が日豊本線、肥薩線が鹿児島本線、それぞれ九州のメインラインでした。
吉都線は霧島連山を北から東に取り囲むように走る高原鉄道で、ちょうど半世紀前にハカセと初めて訪れました。SL全盛期です。
車窓からの霧島連山に魅了され、鹿児島で仕事をするようになってからも何度か訪ねています。
いまは高速道路が吉都線とほぼ並行して走っており、車から霧島連山の姿をとらえることができます。
最後にハカセの写真館。
C55という珍しい蒸気機関車は、吉都線と宗谷本線とで見ることができました。