このたびの件で、国立競技場がリニューアルされましたが、神宮外苑の風景は半世紀前とほとんど変わっていません。
1967年にワタシは神宮外苑にある高校に入学しました。美濃部都政が都立高校に導入した学校群制度の一年目。
不本意にもこの高校に割り振られた生徒たちが不満げな顔つきだったのは最初だけ。
通学路には国立競技場があり、1964オリンピックからまだ2年半あまり、ピカピカ感が残っていました。
校舎の屋上から神宮球場のスコアボードが視界に入り、正門前にはプロレス協会があり、ジャイアント馬場さんを遠くから見かけたこともあります。
徒歩で数分の距離に絵画館、神宮球場、ラグビー場などが点在し、美術の時間には写生、体育の時間にはマラソンの練習と外苑を庭のように使っていました。
最後の1年は数ヶ月間のバリケード封鎖。思考の幼かったノンポリのワタシは右往左往するだけでしたが、、、
かなりアブノーマルな高校生活。
当時の切符をアップします。いずれも昭和42年の印字がされています。
営団地下鉄(東京メトロ)は当時、中目黒から外苑前まで通学していたハカセのもの。江古田から千駄ヶ谷はARCさん、代田橋から千駄ヶ谷はワタシの通学時のものです。
コメント
あの頃の硬券は発駅と着駅がそれぞれ印刷されているので、考えてみればおそろしく手の込んだ贅沢な代物だったのですね。
千駄ヶ谷駅発行の2枚は鋏痕が一緒で(当たり前か)、ちょっと面白い形状です。
それにしても、何でワタシの切符がそちらに?
江古田の切符はあなたからもらったような気がします。
池袋の手前で窓ガラスが割れた、という話を聞いて、西武線はすげえと思った。京王線はそこまでではなかったような。
切符、あらためて見ると
彩文のパターンは営団とJNRは同じなんですね。(シンボル文字こそ違うが)
それと、日付の書体も同じ。
日付マシン(シャーっと通すヤツ、あれ何ての?)が同じメーカーなんでしょうね。