2月6日の旅芸人ブログ「峠」の続編です。
高校時代の友人、ハカセと只見線に行ったのは、1970年12月22日のことです。
当時、只見線は越後口(小出~大白川)と会津口(会津若松~只見)で分断されており、会津口の方の名称は会津線でした。
大白川~只見が開通して、会津と越後がつながったのは1971年8月ですから、ワタシたちが只見線の越後口に足を踏み入れたのは全通の半年余り前ということになります。
前日の上野発22:13発の高崎線/上越線ルートの長岡行き夜行普通電車に乗り、酩酊気分の通勤客の姿が消え、しばし眠ったと思ったら、小出4:07着。
小出駅の待合室で朝一番の只見線列車を待つ一時間余り、ストーブにかじりついていました。
只見線はすべてSLの牽引する客車列車で、2015年に廃止になった柿ノ木駅(1970年は乗降場でした)付近で写真を撮りました。添付したのは、いずれもハカセのショットです。
帰路は小出18:19発の急行「佐渡5号」、上野21:34着でした。
50年前は特急列車は本数が少なく、運賃の面でも学生には敷居が高く、もっぱら急行列車の自由席を利用していました。
上越線の看板特急「とき」の指定席に座れたのは社会人になってからです。
小出には「緑川」というこだわりの日本酒があり、社会人になってから好んで飲んでいました。
改めて調べてみると、ホームページはなく、ネット販売もなし、外回りの営業担当者もおらず、信頼のおける特約店のみによる販売を貫いているようです。
https://www.niigata-sake.or.jp/interview/k47.html
上越新幹線が走るようになり、小出駅や六日町駅(長尾政景~上杉景勝の父、や直江兼続の故地)を通ることはなくなりましたが、ふと立ち寄ってみたいと思うことがあります。