先月のジンテックセミナー第1回でパネラーを務められた宅和博彦さん(倉敷市の玉島信用金庫・理事長)から、
倉敷紡績の創始者である大原孝四郎、孫三郎父子に関する資料(宅和さん作成のもの)をお送りいただきました。
昨年の玉島信用金庫の新入職員の内定式は大原美術館で行われたのですが、その報道に感銘を受けたことは、2021年12月17日の旅芸人ブログで発信した通りです。
おかげさまで、大原家、倉敷についての知識を深めることができそうです。
玉島は山陽道沿いですが、備中松山藩(岡山県高梁市)の飛び地です。
同藩の行政のトップを務め、藩政改革を断行した山田方谷のことは旅芸人ブログで何度か書いていますが、
宅和さんが写した山田方谷の私塾の跡地にある伯備線の方谷駅、方谷の墓、そして高梁川沿いの榎木の写真も送られてきましたので、披露します↓
方谷のもとを去るときに、河井継之助が跪いて頭を下げたと、司馬遼太郎さんの小説「峠」で書かれた地点の榎木です。