本日、倉敷の「藤戸まんぢゅう」を頂戴しました。
先月は岡山で「大手まんじゅう」を購入したのですが、
ブログで
「次は『藤戸まんぢゅう』を食べたい」
とお気楽に発信してしまいました。
これを受けて、お気遣いいただき大変恐縮しております。
早速、美味しくいただきました。
さて、
「藤戸まんぢゅう」の創業は寿永3年(1184年)、壇ノ浦の戦いの前年になります。
http://www.fujito-manjyu.co.jp
藤戸饅頭本舗のホームページによれば、
「源平合戦の古戦場として知られる史跡・藤戸の渡し。源平盛衰記によると、源平両軍が大戦した寿永三年(1184年)、この辺りは一面海であった。 源氏の将・佐々木盛綱は、村人の案内で藤戸の浅瀬を馬で渡り、平家の虚を衝いて大勝。 しかし作戦の秘匿上、この村人を斬り捨てた。 村人の霊を永さめる供養が藤戸寺で行われ、近くの民家からまんじゅうが供えられた。 これが藤戸まんぢゅうの起源だと伝えられています。」
佐々木盛綱は頼朝の旗揚げに直ちに馳せ参じた佐々木秀義の4人の息子たちの三男坊です。
長男の佐々木定綱は本家として、その家系は六角家、京極家となり戦国時代まで存在感を示し、
次男の経高は大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で頼朝挙兵で最初に矢を放つ人物として登場しました。
四男の高綱は宇治川の先陣争い(vs梶原景季)で知名度が高いのですが、
三男・盛綱については知識がなく、今回、調べたところ、上杉謙信の有力武将である新発田氏が盛綱の子孫であることが判明。
これは知りませんでした。