🏯佐竹入府前の羽後の豪族

東京銀行時代の同僚で、モルガン・スタンレー証券などで活躍した井手俊太さんのフェイスブックは、日本全国の隠れた名所、名山、ご当地グルメ、歴史ネタなどがハイレベルで、多くのファンを有し、旅芸人も大変楽しく読ませてもらっています。

数日前は、鳴子温泉から新庄乗り換えで山形まで南下する話でしたが、

井手さんから新庄藩主である戸沢氏の関ヶ原、戊辰戦争における処世術を聞き、出羽の豪族・大名のことをつらつらと調べてみました。

戸沢氏は戦国末期の角館城主で、関ヶ原戦ののちに、佐竹氏が常陸から秋田に移されたときに、入れ替わるように常陸国内に領地替えとなっています。その後、最上家が改易となったタイミングに常陸国内から新庄へと。

出羽の大名が場所こそ違っても出羽に出戻ったというわけです。

ところで、

関ヶ原前夜、秋田県は3つの勢力が鼎立していました。

角館の戸沢氏、県南部の小野寺氏(横手城、西馬音内城)、秋田市から県北は秋田氏です。あとは1万石以下の小豪族。

佐竹氏がほぼ今の秋田県を新しい所領として、水戸から久保田城(秋田市)に入城したとき、秋田氏も戸沢氏とともに佐竹の旧領である常陸国に転封されました。

ちなみに、佐竹氏が入府する以前に秋田氏が本拠地としたのは湊城(秋田市土崎)。高田屋嘉兵衛の船を修繕した土崎港の近くです。

〜「経営効率化を理由に支店を統廃合する金融機関もある。共同組織のけんしんは今後も変わらず地域とともに歩み続ける意思を示したい」 本日...

もう一つの小野寺氏は石田三成に味方したのでお取り潰し。

秋田氏は、前九年・後三年役で源頼義・義家父子と戦った安倍貞任を祖先に持ち、鎌倉・室町時代には安東氏を名乗り、室町時代には秋田城介を称していました。盛岡の南部家に負けず劣らずの名門です。

さて、戸沢氏は出羽に出戻れたのですが、秋田氏の方は故地の出羽に帰ることはできず、磐城国(福島県)・三春に移封となり、明治維新を迎えます。

井手さんのおかげで、出羽国の戦国江戸時代の大名の興亡を知ることができました。

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