「たにがわ」の駅看板。
なぜか脳裏にある60年以上前の画像ですが、東京と山陰を結ぶ唯一の列車「急行・出雲」(山陰の人たちは出雲号と呼んでました)の車窓からです。
当時、出雲号は、大阪経由、福知山線回りで運転していました。
大阪で半分以上の乗客が下車し、寝台車を切り離して身軽になった出雲号は単線で非電化区間の福知山線に乗り入れ、宝塚、三田、篠山口と北上していきます。
次の停車駅が谷川。
加古川線の乗り換え駅です。
その加古川線は阪神淡路大震災で寸断された東海道本線、山陽本線のバイパスとして脚光を浴び、その後電化区間となりました。
山陽本線の加古川と谷川を結ぶ加古川線は、かつていくつか支線とともに北播磨の町を繋いでいました。三木、小野、加東(社町駅)、西脇、加西(北条町駅)。
乗り鉄だという割には加古川線もその支線にも馴染みがなかったワタシですが、
10年前に社外取を務めていた地方銀行が北播磨地区に支店を新設することになり、車社会とともにこの地の魅力が増していることを知りました。
「5市1町で構成される北播磨地域は、中国自動車道、山陽自動車道、国道175号線が交わる交通の要衝で、伝統的に優れた技術を有する製造業が集積しています。」(ニュースレター↓より)
https://www.gogin.co.jp/newsrelease/common/attachmentfile/attachmentfile-file-263.pdf
ハカセから、加古川線の支線の国鉄時代の写真が送られてきましたので、掲載します。
終着駅の長閑な風景です。
↑国鉄北条線、北条町駅、1978/6/10。現在は北条鉄道
↑国鉄鍛冶屋線、鍛冶屋駅、1978/6/10。1980年年代に廃止。