ワタシが就職した半世紀前、父の転勤で実家は北九州の小倉に移転しました。
小倉の家は山の中腹にあり、歩いて数分のところに立派なお寺がありました。小倉に帰ると毎朝、このお寺の周りを散策したものです。
広寿山福聚寺。
創建したのは小笠原忠真。
信州の名門・小笠原家の嫡流で曽祖父は武田信玄に敗れ、追放された信濃守護・小笠原長時です。
今日の「どうする家康」では信康は自害しましたが、忠真の母は、岡崎信康と五徳の長女なのです。
信康と五徳の系譜は豊前小倉で幕末まで続きました。
最後は高杉晋作に小倉城を焼き打ちされましたが。
ちなみに信康の次女の方は、本多忠勝の息子である本多忠政に嫁ぎ、息子は本多忠刻。大阪落城後に千姫と結婚。