先月、このブログで「地方出張の達人」の執筆依頼があったことを書きました。
地方出張するにあたっての下準備に関しての記載でしたが、実を言いますと、出張先においてもチェック事項があります。
地元ならでは出版物を見つけることです。
地元ならではの情報満載で、地元ネタの宝庫です。
ジャンルは問わず。
歴史関係がどうしても多くなりますが、地元作家による「身びいき」たっぷりの内容は、結構面白いものです。
これらを読むことで、その地域における「うんちく」がレベルアップしていくのです。
20代のころからですから、コレクションはかなりの冊数になりましたが、家が狭くて、置くスペースがないため、数年前に同好の士である「Yさん」に引き取ってもらいました。ご迷惑だったかな。。。。
とはいえ、今もその習性は変わらず、私の本箱は、いったんリセットしたものの、またまた地域出版物が積みあがっていくのです。
最近はどこに行っても地元出版物コーナーがあり、面白い本に出会うのですが、私が20代のころは、地域によって、かなり濃淡がありました。
当時は偉そうに、「地域の文化度を計測するには、地元出版物の質と量をみればわかる!」などと嘯いておりました。
さて、
今日は朝一番の便で、宮崎空港から羽田に戻ったのですが、空港の書店で、一冊購入しました。
「伊東マンショ その生涯」 (帯には「宮崎が生んだ伊東マンショ 志と信に生きたその苦難の障害を豊富なカラー図番やイラストとともに描く」とあります)。
伊東マンショという人は、1580年代に日本の少年4人たちがポルトガル経由でローマに入り、ローマ法王グレゴリー13世に謁見した、いわゆる天正少年遣欧使節の中の正使だった人です。
天正少年遣欧使節のメンバーはキリシタン大名(大友宗麟、有馬晴信、大村純忠)の縁者たちという認識であったので、伊東マンショが宮崎県(当時の日向、キリシタン大名の領地ではない)出身とは考えもしませんでした。
不覚でした。
飛行機の中で読んでそのわけを知り、”納得”。
日向の伊東家(ルーツは伊豆の伊東家、源頼朝が流罪になっていた時代にも重要な役割を果たします。)の一族と言うことであれば、確かに。。。。伊東一族は勃興した島津に追いやられ、日向を捨てて、豊後の大友宗麟の所に身を寄せましたからね。
これが私の地方巡業における、ささやかな楽しみなのです。