八代アソシエイツのホームページに新しい論考がアップされました。
「地域金融が AI に認知活動のすべてを明け渡す前に」
新年早々、キツ~イお年玉です。
トランザクションバンキングのみならず、AI の参入障壁があるであろうリレーションシップバンキングのコア部分が、いともたやすくAIに切り崩され、ミスターリレバン (顧客を喜ばせて顧客の企業価値を向上させて顧客との共通価値の創造を達成できる人材) も、経営改善/事業再生のマイスターも、AIに取って代わられるという、何とも恐ろしい話です。
これだと地域金融業務の終焉です。
八代さんの処方箋は「牛歩戦術」。
「時間稼ぎしかない」というもの。
時間稼ぎの施策を真剣に考えますか。
いずれにしても、合併なんかで時間と合併費用を浪費している場合ではありません。
コメント
八代さんの論考を興味深く読ませていただきました。「リレバンはAIとは関係ない」とばかりに思考停止する向きへの警鐘としては賛同いたします。ただしある種のAI万能論的な結論に見える点は賛成できません。
AIは所詮ツールに過ぎません。AIの認知能力には優先順位の入れ替え能力がありません。R・ドーキンスの進化論にいう「遺伝子の利己的振る舞い」のような認知を根本的に司るドライバーがありません。だからAIにはそれを操作する人間が不可欠です。言い換えればAIは生物ではなく自己増殖ができないからです。
一方で八代さんのご指摘はAIの認知能力向上から目を離すなという点で大切だと思います。リレバンにとって認知能力は決定的に重要です。だから対話だのコミュニケーションだの組織風土や心理的安全性ということになるのですが、八代さんの主張を、したがってリレバンには「AIの認知能力を活用」が喫緊の課題であると整理するなら、まったくご指摘の通りかと思います。
私は数年前から「微表情研究所」というベンチャー会社のCCDカメラを駆使した人間の感情解析をするプログラムに注目しています。こうした技術をリレバンに取り入れる努力を地域金融は放棄してはならないと思います。
なお、昨年末に、橋本卓則さんと立命館大の小川教授を訪ねた折に、彼女から「認知資本主義(ナカニシ出版)」という本を教えてもらったのですが、八代さんが提起された問題に参考になるように思いますので加えて報告します。
AIの認知能力を人間が制御できるかどうかという次元。
つまり人間がターミネーターに勝てるか?・・・勝てる筈がない。
こうした初夢を見る人が今後多くなるんだろうなと思います。
内田樹さんが、街場の教育論で今の日本で起きている状況を次のように述べています。
「船底のあちこちに穴が空いて、漏水して沈みかけている船がありました。この船に乗り合わせた人たちが『水を汲みだす力』を基準にして乗員たちを格付けすることにしました。そして水汲みの力の低いものについてはご飯の量を減らしたり、寝かせなかったり、鞭で叩いたりして差別しました。そんなふうにいじめられた人たちは弱り切って、使い物にならなくなりました。そして気がつくと、水を汲みだす乗組員が足りず、船はぼこぼこと沈んでしまいました。おしまい。」
国民・個人・企業等の格付けに熱中しているうちに国の力そのものが衰退してしまうという話です。
八代さんや内田さんの話から考え思うに『金融』とは何なのでしょう?
生き残りや評価されることを考える金融機関に「金融機能」はあるのでしょうか?
多分その機能は形だけで、自分の既得権を守ることを本業としているのでは?
そしてその既得権が他業態から狙われているのです。
ハラリ氏は人間の能力を認知能力と身体能力の二元論のコンテクストで使用しており、前者は、これまで解明できてこなかった人間の脳構造に依存した人間の能力としているように思われます。ゆえに、コミュニケーション能力や粘り強さといった計測できない個人の能力といったものではなさそうです。
AIがここまできたかといった衝撃ではなく、そこまで人間の脳構造はお粗末であったかという衝撃なのです。
目下の地域金融機関に持続可能なビジネスモデル作り競争が政策的に期待されている中、高い認知能力を行職員が多い地元の競合金融機関が企画した正真正銘のリレバンで地域シェア(貸出シェア等ではなく、地元人気シェアや心のメインバンクシェア)を奪っていけば、敗れつつある自行は指をくわえて見ているわけにはいきません。
しかし、所詮は同じ脳構造でしかない人間が運営する競合ですので、そこに太刀打ちできるAIが廉価で手に入れば、地域シェアを改善すべく、投資するでしょう。このささいな欲望と自行財務上の生産性向上のために、認知活動(企画や戦略の策定)が人間からAIの手に落ちるのです。ロボコップにパワーアシストスーツを人間着ただけでは身体能力では勝てません。
肩代わり競争と同じで、AIによって地域シェアが悪化に転じた正真正銘のリレバンビジネスモデル銀行もAIに認知活動を譲らない限り、持続可能なビジネスモデル構築は、財務上の生産性の見劣りから、道半ばと評価されるでしょう。そして正真正銘のリレバンビジネスモデル銀行も認知活動がAIの手に落ちるのです。
ロボコップによる認知活動が、安いAIで地域金融、リレバンにまで広がっていくのです。地域金融機関内部の脳がまるごと取っ替えられることに等しいので、もはやAIは人間の認知活動を補うツールではないはずです。そんな役割をAI自身が顧客価値提供にも財務上の生産性向上の観点から許容してはくれませんので、結局地域金融の認知活動を全面的にAIに依存する羽目になるのです。
神秘性が信じられてきた人間の脳の構造がさして複雑でなく、コンピューターやアルゴリズムで真似られる程度でしかなかったため、こうなる運命にあったのかもしれません。残念でなりませんが・・・。
「21Lessons」はもちろん同世代のハラリ氏の著作は重要な参考文献として拝読しています。
現時点のアルゴリズムAIを考える上で、頭を整理すべきなのは「『どのような』選択・意志決定を『なぜ』委ねるのか」です。
例えば「行列や渋滞の解消に最適なルートに誘導して」という選択ならば多くの方はあまり疑問や違和感を抱かずに委ねるかもしれません。相当に時間に余裕があり、井上陽水なんかを聞いて黄昏れたい方は別として、無駄に長時間待たされたり、回避できる渋滞に巻き込まれるのは勘弁願いたいものです。
例えば「私が食べるべき寿司の注文をお願い」「私がこの夏に行くべき旅行プランを決めて」「私が付き合うべき・結婚すべき異性をピックアップして」という指示は、少し変わってきます。人によります。既に最後の指示は、今の若者にとって抵抗感を感じなくなっているようです。
一方、「地域を元気にする事業をやってください」とAIに指示しても、期待する答えは返ってこないでしょう。現状のAIはアルゴリズムで命令指示された想定、ルール通りに対処することしかできないので。
有名なのは1997年「ディープブルー」VSカスパロフ戦です。
ディープブルーが指した意味不明の一手に困惑されたカスパロフは、深読みして、動揺し、打ち手を誤り、形勢を逆転されました。真相は、ディープブルーの単なる不具合でした。その場合、「取りあえず、テキトーに一手指しておく」というアルゴリズムの指示通りに作動したに過ぎません。問題は、自分にとってその選択が信じるに値するか否かです。
地域金融において考えるなら八代論考の通り、コスト削減(要は地域において高すぎる給与をなんとかしたいという経営課題)という御旗の下、AIのお試しは広がっていくと思われます。
故に「地域を元気にして、幸せにしてください」というお題に対して、正しい・正しくないは別にして、自分なりに考え、動けないのであれば、代替されていく可能性はあります。
でも大丈夫。物理法則を超えない限り、アマゾンでさえラストワンマイルを埋める解決策を見いだせていません。ということで、アマゾンの専属ドライバー(最近増えているようですね。稼げるとか)といううってつけの仕事があります。ドラえもんやスタートレックのエンタープライズ号が登場しない限り、仕事はたくさんあります。ゴミ収集もあります。とても大切な仕事です。正月の休みは、ゴミ出しでみなさん悩んでいました。人手が足りない役に立つ仕事は、いくらでもあります。と、アイロニーたっぷりに本当は「違うだろ!」と語りかけているハラリ風に結びます。