昨年4月、会津若松でのシンポジウムで大変お世話になった、会津若松のYさんから電話があり、久しぶりにゆっくり話をしました。
大河ドラマ「八重の桜」が順調なスタートを切り、会津若松の皆さんも大変喜んでおられるようです。 よかった、よかった。
いずれドラマにも出てくるのでしょうが、京都の黒谷・金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)は会津守護職のヘッドクオーターであり、そこには会津藩士の墓があるという話は、このブログでも書いたことがありますが、Yさんによれば、会津若松の方々が墓参りによく立ち寄られるとのこと。
さて、
黒谷と並んで、会津藩ゆかりの地といえば、「伏見奉行所跡」。
鳥羽伏見の戦いの際に会津藩と新撰組(近藤勇は鉄砲傷で戦線離脱していたため、土方歳三が指揮を取っていました)が陣を敷いた場所です。
そういえば、一昨年、伏見奉行所あたりのフィールドワークをしました。
会津藩・新撰組連合軍に対する薩摩藩の本陣は、平安時代以来、名水で知られた「御香宮」ですが、伏見奉行所との距離の近さに驚きました。
会薩両軍とも大砲を打ち込んだといわれていますが、これだけ近かったのならば、命中率は高かっただろうな、と思った次第。
伏見における戦いの様子は、司馬遼太郎さんの人気小説「燃えよ剣」に、主人公の土方を中心に詳しい描写がなされています。
こんな話で、Yさんと大いに盛り上がりました。
「肝心の用件は何だったかな???」と電話を置いてから、考えてしまう”間抜けさ”は相も変わらずですが、とても楽しい時間でした。