今日の夕方のニュースで、各局が一斉に、東京での桜の開花を報じていました。
我が家の居候・気象予報士によれば、「標本木」というベンチマークとなる木があり、それで開花や満開などの判断をするのだそうです。
東京の標本木は靖国神社にあります。
いま、大阪にいるのですが、本日現在、近畿地方はどこも桜の開花発表はありません。
大阪の標本木は、大阪城の西の丸庭園の中にあるのですが、昨年3月は早起きをして、わざわざそれを見に行きました。
気象予報士が見に行きたいというので、ついて行きました。 モノ好きとしか言いようがありませんね。
かつては、桜の季節がとても楽しみでした。
それが50代になってからは、桜の発信する華やかさが、ちょっとまぶしくなってきました。咲き始めは良いのですが、満開にはずっしりとした重さを覚えるのです。 桜には大変申し訳ないのですが。
それに比べると、紅葉の季節は、年齢とともに、しっくりくるようになり、安堵感を与えてくれます。
「願くば 花のもとにて 春死なむ その如月の 望月のころ」
平安時代末期の歌人で、もとは北面の武士だった佐藤義清こと、西行法師が詠んだ和歌です。
若いころは、この詩の感覚に共感を持ったものですが、最近はどうも違和感があるのです。
西行さんを批判するなどいう、大それたことをするつもりは毛頭ありませんが。